雑記:甲府・甲州市内の武田氏関係寺院

山梨県甲府市は武田信虎が躑躅ヶ崎館を築いて以来、信玄・勝頼と武田氏三代にわたる拠点であり、市内には武田氏ゆかりの寺院や史跡も多く、また信玄を始め武田氏の人気も強い。

そうした武田氏関連の寺院の一つが、古府中町の大泉寺であり、ここは武田信虎の開基で、信虎の葬儀が行われた寺でもある。

大泉寺には武田信廉(逍遙軒、信虎の三子で信玄の弟)が描いた信虎の画像が伝わり、信虎の廟所もある。

廟の裏には三基の石塔があり、古くから信虎・信玄・勝頼の三代の墓と伝承されて来たが、現在読み取れる銘文からするに戦国時代末期から江戸時代初期にかけて造立された僧侶の墓であると考えられる(植松又次『甲斐の石造美術』参照)。

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なお、有名な甲府駅前に建つ武田信玄の銅像であるが、2019年に甲府開府五百周年を記念して、同じ駅前に大泉寺の肖像画をモデルにした信虎の銅像も建てられた(下の写真一枚目はそれよりも前に撮影したものであるため、信虎像の画像はないが)。

信玄の銅像は甲府駅前以外にも県内に複数あるが、駅前の信玄像に先行する銅像としては、甲州市恵林寺(信玄の墓所のある寺院)前の土産物屋「信玄館」の銅像があり(下の写真二枚目)、甲府駅の信玄像はこの銅像を参考に作成された(なお、現在「信玄館」の像は金色に塗り直されている)。

大泉寺と同じ甲府市内の東光寺は、平安時代に創建されたと伝わる古刹で、戦国時代には武田信玄によって諏訪頼重や武田義信(信玄の長子)が幽閉された末、この寺で没している。

両者の墓も東光寺内にあり、頼重の墓は宝篋印塔、義信の墓は五輪塔で、ともに戦国時代後期の作で、実際に彼らの墓塔と見なして良いであろう。

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かつての大和村、現在は甲州市大和町に属する天目山は、織田信長に攻められた武田勝頼が自刃し、武田家終焉の地となった場所であり、景徳院は勝頼を供養するために自刃の地に造られた寺院である。

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境内には勝頼の廟である甲将殿があり、その背後には武田勝頼、北条夫人(北条氏康の娘で勝頼の正室)、武田信勝(勝頼の子)の墓があるが、これらは江戸時代の安永四年に造立されたものである。

石塔は破損が激しく、近年修復された。

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他にも境内には、勝頼が自刃した場所とされる生害石がある(夫人や信勝の生害石もある)。

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天目山の入口に位置する甲斐大和駅前には、勝頼の銅像もある。

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