中部地方の石造物㉔:大善寺五輪塔(伝・佐藤信重の墓)

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名称:大善寺五輪塔

伝承など:佐藤信重の墓

所在地:山梨県甲州市勝沼 大善寺


葡萄の名産地として知られ、ワイナリーも多くある甲州市の勝沼にある大善寺も「ぶどう寺」と呼ばれ、自家製のワインやぶどうジュースなどを楽しむことが出来、観光客で賑わう。

大善寺の創建は奈良時代にまで遡ると言い、境内には鎌倉時代の建築で国宝の薬師堂(一枚目)や平安時代の薬師三尊(秘仏)や鎌倉時代の十二神将など重要文化財指定の古仏も多く伝わっており、勝沼氏や三枝氏など甲斐の豪族との関わりも深い。

石造物にも見るべきものがあり、薬師堂を少し下った所には五輪塔群が建ち並び、その中央にある大型の五輪塔(三枚目)は佐藤信重(基治)の墓と伝承されている。

信重は藤原秀衡の家人で後に源義経の郎党になった佐藤継信・忠信兄弟の父で、兄弟の身を案じて奥州より旅して来たが、甲斐まで来た所で客枝したと言う。

五輪塔自体は鎌倉時代末期から南北朝時代の作で伝承とは合わないが、端正な石塔である。

信重の墓を中心とした五輪塔群の隣には、もう一基五輪塔があり(下の写真一枚目)、勝沼信友の娘の理慶尼(信友は武田信虎の弟であるから、信玄の従妹に当たる人物であるが、勝沼氏の系譜と理慶尼の出自には異説もある)の墓と伝承されるが、こちらは乱積みで当時のままではなく、パーツも一部は理慶尼の時代よりも古いものであろう。

大善寺にはもう一基中世の五輪塔があり、それが山門(下の写真二枚目、山門は元禄十七年の造立)の脇にある三枝守国の墓(下の写真三枚目)とされるもので、水輪と火輪しか現存せず他のパーツは近年の復元であるものの、時代としては信重の墓と同時代か、あるいはやや下る時期のものと思われる(ただし、伝承にある三枝守国は平安時代の人物)。

おそらく、信重の墓とされる五輪塔も守国の墓とされる五輪塔も、三枝氏、あるいは勝沼氏関係の石塔であろう。

なお、山門脇には中世のもの(南北朝時代から室町時代頃か?)と思われる宝篋印塔(写真四枚目)もある。

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