雑記:土佐の長宗我部

高知県高知市の中心部から南方へ行った長浜天甫寺山の山腹に、土佐の豪族から身を起こして一時四国に覇を唱えた戦国大名・長宗我部元親の墓がある。

形式は宝篋印塔で、戦国時代末期の形式を示し、特に銘文はないが慶長年間に没した元親の墓と見なして良いであろう。

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なお、同じ高知市長浜の若宮八幡宮の参道には、長宗我部元親の銅像が建っている。

若宮八幡宮は、元親が初陣に際して陣を構えた場所と言う。

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長浜にはもう一箇所、長宗我部氏ゆかりの寺院の雪蹊寺がある。

雪蹊寺は四国八十八ヶ所の三十三番札所で、湛慶作の鎌倉時代の毘沙門天像などの仏像を有するが(要予約で拝観可能)、境内には元親の長子の信親の墓がある。

信親は父に先立って戦死しているが、信親の墓の宝篋印塔は形式的からするに江戸時代になって造られた供養塔であろう。

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信親の早逝によって最終的に元親の後継者となった長宗我部盛親の墓と伝承される五輪塔が、京都府京都市下京区の蓮光寺にある。

関ヶ原の戦いで西軍に味方したために土佐一国を失い、その後大坂の役に豊臣方として参戦するも敗れて処刑されたが(生存説もあり)、死後に蓮光寺の僧が遺骸を葬ったのがこの五輪塔と言う。

こちらは江戸時代の造立である。

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