北関東の石造物④:五月女坂古戦場五輪塔

名称:五月女坂五輪塔

伝承など:宇都宮尚綱供養塔(鮎ヶ瀬弥五郎の墓?)

所在地:栃木県さくら市 五月坂古戦場


現在は合併してさくら市になったが、宇都宮からかつての喜連川町に抜ける街道の途中の早乙女に弥五郎坂(五月女坂)と呼ばれる場所がある。

このあたりは戦国時代は那須領と宇都宮領の境であり、天文十八年にこの坂で宇都宮尚綱と那須高資の間で合戦があった。

世に言う「五月女坂の戦い」であり、兵力的には圧倒的優位であった宇都宮軍が、大将の尚綱が討ち取られると言う大敗を喫した戦いとしても知られる。

戦後、尚綱を討ち取った鮎ヶ瀬弥五郎実光(那須高資の一門の伊王野資宗の被官)が、手柄に対する報奨金を用いて尚綱の供養塔を合戦場に建て、それ以降この五月女坂は「弥五郎坂」と通称されるようになったと言う。

現在古戦場には覆屋に納められた巨大な五輪塔が建っており、これが弥五郎が造立した宇都宮尚綱の供養塔と伝わるが、一説には弥五郎の墓とも言う。

五輪塔は等身大を超える大型塔で、完形であり状態も良い。

はっきりした造立年代はわからないが、室町時代頃の作と推定され、伝承の通り宇都宮尚綱の供養塔と考えてもさほど違和感はない。

大型塔であることから、もう少し古い時期、南北朝時代くらいの作と思えなくもないが、水輪の形からするに南北朝時代よりも下ると思われ、また群馬や埼玉の室町~戦国期の石塔が概して小型化するのに対し、栃木や茨城では戦国期の在銘塔で大型のものがまま見られるので、ここでは室町時代から戦国時代の作と見ておきたい。


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