中部地方の石造物⑤:宮野尾五輪塔(伝・青岩院の墓)、附・明静院五輪塔(伝・上杉謙信の墓)

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名称:宮野尾五輪塔

伝承など:青岩院(虎御前、上杉謙信生母)の墓

所在地:新潟県上越市宮野尾


上越は越後の国府が置かれた場所で、長らく越後国の政治・文化の中心だったためか、中世の石造物も複数現存するが、その中でもとりわけ五輪塔が多い。

とは言え、大半は欠損していたり破損が激しかったりして、完形の五輪塔は極めて少ない。

その上越地方の数少ない鎌倉期の五輪塔が、上杉謙信の菩提寺である春日山城かの林泉寺北方の宮野尾の集落にある。

かなりアクセスの悪い場所で古い街道と思しき鬱蒼とした木立の中にあるが(周辺は人家も少なく、「クマ出没」の看板もあるので行く際には注意を要する場所である)、五輪塔は破損もなく良い状態で現存している。

この五輪塔は、古くから上杉謙信の生母である青岩院(虎御前)の墓と伝承されているが、形式からするにそれよりもずっと古い鎌倉時代後期から末期の造立と推定される。

火輪が縦長の形状なのは、北陸地方の鎌倉時代の五輪塔の特徴である。

林泉寺に近い場所にあるため、青岩院の墓と言う伝承が後世生じたものと思われるが、林泉寺にも創建よりも遡ると思われる五輪塔が現存しているため(寺伝では上杉謙信・長尾為景の墓とされる)、あるいはそれらとこの宮野尾の五輪塔は同時期に同一の勢力によって造立されたものかも知れない。


なお、同じ上越市五智国分の明静院には、宮野尾五輪塔と非常によく似た五輪塔があり、これも同時期の造立と考えられる。

同寺は平安時代の古仏の大日如来をまつる上越でも屈指の古刹であるが、現在は上越市五智国分の山中にひっそりと建つ寺院である。

伝承よれば、上杉謙信の遺言によって明静院に墓所が営まれたとされ、現在収蔵庫の横に建つ五輪塔(下の写真)は、上杉謙信の墓と伝承される。


この五輪塔は江戸時代に土中から発見されて、高田藩によって謙信の墓と認定されたものと言う。

もっとも、五輪塔の形式からするに謙信の時代より古い鎌倉時代後期から末期の造立と推定され、火輪が縦長の所などは前述のように宮野尾五輪塔によく似ている。

古石塔であるため、謙信の墓と考えられたのであろう。

なお、水輪と空風輪は欠損していて近年復元されたものであり、当時のものは地輪と火輪のみである。


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