北関東の石造物①:正覚寺宝篋印塔(小松殿の墓)

名称:正覚寺宝篋印塔

伝承など:小松殿(真田信之夫人)の墓

所在地:群馬県沼田市鍛冶町 正覚寺


今回メインで取り上げるのは正覚寺の宝篋印塔であるが、他にも二つほど宝篋印塔を紹介したいと思う。

まず正覚寺の宝篋印塔。

真田氏の城下町として知られる沼田の街中にあり、徳川四天王・本多忠勝の娘にして真田信之夫人、賢夫人として知られる小松殿(法号は大蓮院)の墓と伝わる。

寺伝では、小松殿の一周忌に際して信之の長子である真田信吉(沼田藩主)によって造立されたものだと言う。

特に銘文は刻まれていないが、形式的には江戸時代初期の宝篋印塔であり、小松殿の没年(元和六年)とよく合致するため、寺伝通り小松殿の墓と見て問題ないであろう。

江戸時代初期は大名クラスであっても、没後間もなく建てられた墓塔とはっきりわかるものは意外にも多くなく、この正覚寺宝篋印塔は、非供養者が明確、しかも同時代の墓塔と言う点で貴重である。

さて、小松殿の墓と称される石塔は、この正覚寺の宝篋印塔以外にもあと二基あり、それぞれ長野県上田市と埼玉県鴻巣市に現存している。

まず、上田市のものについて。

所在地は上田市の芳泉寺で、本堂裏の墓域にあり、こちらも宝篋印塔である。

この宝篋印塔は基礎部に法号と没年を刻むが、石塔の形式は明らかに江戸時代後期のもので、正覚寺のものとは異なり小松殿の没年とは合致しない。

寺伝によれば、当初同寺にあった小松殿の霊廟は、真田家が上田から松代に転封になった際に松代に移されたと言うが、その際に元々あった墓塔も松代に移動したのではないだろうか(ただし、松代には霊廟だけで石塔は現存しない)。

現在ある石塔は、後代になって建てられた供養塔と考えられる。

もう一つは、埼玉県鴻巣市のJR鴻巣駅から歩いて十分ほどの所にある勝願寺の本堂横にある。

こちらも墓塔は宝篋印塔である。

こちらも基礎に銘文があり、小松殿の一周忌に際して上田から分骨されたものと言う。

小松殿は鴻巣で没しているので、この地に分骨墓があることに違和感はないが、ただこちらも形式的には江戸時代中期から後期のもので、小松殿の没年には合致しない。

こちらの宝篋印塔は芳泉寺の墓塔とよく似ているので、おそらく芳泉寺の宝篋印塔と同時期に真田氏によって造立された供養塔であろう。

あるいは、元々あった分骨墓が何らかの理由で失われたために再建したものかも知れない。

このようにそれらしい銘文があっても、石塔時代は後代の造立と言うケースが江戸時代の大名墓地には間々あり、話は戻るがそうした点で、正覚寺の宝篋印塔は現存する小松殿の没後間もなく造立された墓塔として貴重と言える。


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