中部地方の石造物㉕:明台寺五輪塔(斎藤利藤の墓)

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名称:明台寺五輪塔

伝承など:斎藤利藤、斎藤利春?の墓

所在地:岐阜県大垣市墨俣町


応仁の乱以降の美濃国の実権をめぐる抗争は複雑であり、実質的守護代で応仁の乱では西軍の武将として活躍した実力者・斎藤妙椿の死後は、その甥(兄の斎藤利永の子)斎藤利藤と、妙椿の養子となった利藤の実弟・斎藤妙純(利国)の間で「美濃文明の乱」と呼ばれる内乱が勃発した。

この乱は最終的には妙純の勝利に終わり、権力争いに敗れた利藤は失意の内に世を去っている。

その利藤の墓は、彼が拠点とした墨俣城下の明台寺にあり、養子であった斎藤利為(ただし内乱では斎藤妙純に味方している)が造立したものと言う。

墓地内にある二基並ぶ小型の五輪塔の向かって右側(二枚目)がそれで、地輪には彼の没年である明応七年銘があり、形式も戦国時代初期のもので合致する。

左側の五輪塔も、利藤の墓よりもやや小ぶりではあるが同時期のもので、こちらは永正二年と言う銘文があり、利藤の子・斎藤利為の墓である。

また境内には土岐悪五郎(足利尊氏・義詮・義満に仕え功績のあった土岐頼康の弟・康貞のこと)の墓と伝承される五輪塔もあり、乱積みのようにも思えるが、室町時代の五輪塔である。


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