神奈川県内の石造物⑥:称名寺五輪塔群(金沢北条氏の墓所)

名称:称名寺五輪塔群

伝承など:金沢北条氏(実時・顕時・貞顕)の墓

所在地:神奈川県横浜市金沢区 称名寺


武蔵国六浦は、鎌倉時代には北条氏の一門の金沢流北条氏が治めた地であり、金沢北条氏は歴代好学の当主を輩出した。

中でも二代当主の金沢実時は、蔵書家として知られ、日本最古の武家文庫である「金沢文庫」を創設した。

現在はその貴重な蔵書や、金沢北条氏ゆかりの古文書・美術工芸品は、博物館施設の神奈川県県金沢文庫(こちらは「かなざわぶんこ」と読むが、歴史用語としての名称は「かねさわぶんこ」で、地名も「かねさわ」が正しい)にて保存・公開されている。

金沢文庫に隣接する称名寺は、金沢北条氏が開いた寺院であり、境内には金沢北条氏が造立した石造物が数多く残されている。

本堂の向かって左側には、金沢流北条氏三代当主の金沢顕時と、その子で四代当主であり、また十五代執権を務めた金沢貞顕の墓所が並ぶ。

二箇所の墓所のうち、かつては向かって左側が顕時、右側が貞顕の墓とされていたが、発掘調査の結果や石塔の年代から、現在は右側が顕時、左側が貞顕とされている。

顕時墓所内(一枚目)で最も大型の五輪塔(二枚目)が、顕時の墓塔であり、称名寺内の五輪塔の中でも最大で造立年代も最も古く、顕時没後間もない鎌倉時代後期の造立と考えられる。

非常に端正な、神奈川県内の鎌倉期の五輪塔の代表的作例の一つであろう。

貞顕墓所(三枚目)内の貞顕の墓塔(四枚目)は、時代はやや下って南北朝時代の作であり、貞顕が鎌倉の東勝寺で最後の得宗(北条家嫡流の当主)である北条高時とともに自刃した後しばらくして造立された供養塔と考えられる。


本堂の裏山の山腹には、また別の墓所があり、こちらには一基の宝篋印塔と五基の五輪塔が建ち並んでいて壮観である。

こちらの墓所は、二代当主で称名寺の開基である金沢実時とその一族の墓所とされ、中央の宝篋印塔(二枚目)が実時の墓と言う。

現状では異なる二基の宝篋印塔のパーツを組み合わせているためバランスが悪いが、どちらも南北朝時代の宝篋印塔であり、おそらく元々の実時塔が散逸した後で置かれたものと思われる。

両脇の五基の五輪塔は、形式が微妙に異なるために一度に造立されたものではないであろうが、ほぼ同時期の鎌倉時代後期に建てられたものと考えられ、実時の近しい一門や夫人の墓所であろうが、どの石塔が誰の墓であるのかは不明である。


もう一箇所、称名寺の本堂の真裏にも五輪塔群があり、こちらは世代墓地で僧侶の墓である。

このうち最も大型の五輪塔(二枚目)は、開山の審海の墓と伝わり、伝承の通り審海の死後まもなく造立された鎌倉時代後期の五輪塔である。

なお、称名寺の境内は国の史跡に指定され、浄土式庭園が整備・復元されている。


#神奈川 #横浜 #金沢区 #金沢文庫 #称名寺 #北条氏 #金沢流 #金沢実時 #北条実時 #金沢顕時 #金沢貞顕 #五輪塔 #鎌倉時代 #石塔 #審海 #歴史 #日本史  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?