近畿地方の石造物⑦:清盛塚層塔(伝・平清盛供養塔)

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名称:清盛塚層塔

伝承など:平清盛供養塔

所在地:兵庫県神戸市兵庫区 清盛塚


JR兵庫駅から徒歩十分ほどの所にある十三重の層塔は、古くから「清盛塚」と通称され、鎌倉時代に九代執権の北条貞時が造立した平清盛の供養塔と伝承されてきた。

層塔の台座には弘安九年の銘文があり(二枚目)、確かにそれは貞時が執権だった時期の年号であるが、銘文からは清盛との関係も貞時との関わりもわからない。

清盛が開き、日宋貿易の拠点となった大輪田の泊とこの層塔の場所が近いことから、後世そうした伝承が生じたものであろう。

伝承はともかく、鎌倉中期の在銘の層塔として貴重である(相輪は後補)。

近年では、西大寺の叡尊が弘安八年に兵庫で石塔供養に臨んだと言う文献の記録があることから、この層塔がその「石塔」のことではないかと言う説もある(ただ、銘文との間に一年のずれがあるため疑問の余地がなくもない)。

清盛塚にほど近い能福寺も、清盛ゆかりの寺院であり、能福寺の寺領内の八棟寺に清盛の廟所が営まれたと言うが、現在は存在せず、1980年の清盛八百年忌に際して造立された層塔(三枚目)が残るのみである(中央の塔がそれで、向かって左側の層塔は清盛の甥で、その遺骨を八棟寺にて供養した忠快の墓と言う)。


また、清盛塚にほど近い真光寺には、一遍の廟所がある。

時宗の開祖で「遊行上人」と呼ばれた一遍は、鎌倉時代後期の正応二年に兵庫で没した。

その一遍示寂の地である真光寺境内には一遍の廟所が営まれ、一遍の墓所である五輪塔が建っている。

五輪塔は2メートル近い大型塔で、南北朝時代の作であり、一遍没後しばらくしてから造立されたものであろうが、阪神大震災で五輪塔が倒壊した際に、水輪内部から骨壺が発見され、これが一遍の遺骨であると見なされている。

この推定が正しいとすれば、当初遺骨は別の場所に納められていたが、南北朝時代になって一遍の遺骨を安置する五輪塔を造立したと言うことであろうか(あるいは当初は五輪塔があったが、南北朝時代に新たに造立されたか)。

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