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押したり引いたり

地域の”本物”=TRADとなるには、イベント時も通常時も、「これを通してどうありたいか」がぶれないことである。受けが良い悪いで作り込みがコロコロ変わっては何がやりたいのか伝わらない。

また伝えたいエネルギーが強すぎると、人は近づかない。「◯◯にいいから」「ためになるから」と思うがために煙たい存在になってしまうこともある。

いわば、押すことよりも引くこと、イベント時よりも通常時のあり方で近づき易さ、話し易い雰囲気が生まれる。決めてかからず、型にはめないことである。前に出たり、後ろに下がったり、思わぬ時に、やりたいこととやるべきことが一致する。イベント時に一喜一憂することなく、力まず続けていくことでつながっていく。

地域は変わってないようで実は変わり続けている。少しずつ少しずつ。変わらないを維持するために受け入れながら変わり続けている。それをやめると退化する。維持することは前に進むことである。

フリードリヒ・ニーチェ
まったく新しく、突飛なものを見つける、特殊な嗅覚を持つ少数の人が「独創的」なのではない。すでに古いとみなされたもの、誰でも知っているような、まったくありきたりのもの、多くの人が取るに足りないと思って、安易に見過ごしてきたものを、まるで、とても新しいものであるかのように、見直す眼を持つ人が「独創的」なのだ。

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