もし生きることに飽きたら

(飽きないと思うけど)もし、もう人生疲れた、無理だなあと心底感じる日が来たら
せっかくなので生き方を変えると思う。


たとえば 自分のため、をやめて、
すべて「人のため、だれかのため」に生きる。


自分の感情や欲は二の次。というより
やりたいことなんて、願いなんて、もうないのでしょう?
自分の願いなんて叶わないと思うのでしょう?
だからこの世界がいやなのでしょう?


それなら、自分をまるごとあきらめて人のために生きればいい。
自分を忘れればとっても暇になるから
だれかのために割く時間も ちっとも惜しくないはすだ。


もしくは、すべて「自分のため」に生きる。


人のためを思うのが疲れたんでしょう?
期待に応えられないのがつらいのでしょう?
あの人の顔色や、悲しい瞳や失望を想像するから踏み出せないのでしょう?
だからこの世界がいやなのでしょう?


それなら、他人をまるごとあきらめて完全に自分のために生きればいい。
自分がいいと思ったものを選び、いやな環境からはだれがなんと言おうと逃げ出せばいい。
だれかの反応を予想してモヤモヤする必要もないから
今まで以上にいろんなことが選択しやすくなるはずだ。


きっとどちらを選んでも見える世界は変わる。

それだけでちょっと、おもしろくなる気がしている。


やさしくなれたら、もっといいのだけれど。



極端なのは分かっているんだよ。
そして、今はどちらも選べないから大して生き方が変わらないわけで。



でももし、ほんとーーーに生きることに疲れたら、
どうせ今生は余生だと考え
夢のように、てきとうに生きると思うんだ。



「酔生夢死」。
スピッツの草野マサムネさんが、昔モバイルサイトかなにかで語っていた、好きな四文字熟語。


酔うように生きて、夢のように死んでいく。


ほんとうはあまり良い意味では使われていないけれど、なんだか好きなんですよね。
そんなニュアンスで紹介されていた。

もう10年以上前の話だから、今も彼がその言葉を好きでいるかはわからないけれど。


現実を夢のように、ふわふわと生きる。
いろんなことが起こっても、それは夢だから私には関係ない。
ファンタジーに振り切ってしまう切り札も、悪くはないかもしれない。

きっとほんとうに壊れてしまったら罪悪感なんて生まれないから。



飽きたら飽きたで
やれることがいろいろあるのだと信じている。
一度なにもかもなくなったつもりになれば、こわいものなんてないだろう。



ずっと続くパラレルワールドだと言い聞かせながら生活している時期も たしかにあったっけ。





たまに思うんだ。
今この瞬間から「人のため“だけ”に生きる」と決めたら、
きっとめちゃくちゃいろんな人から好かれ、
人から求められ、
人から良い空気をたくさんもらって、
そして、結果的に心が豊かな人になるのではないかなあと。



自己啓発本を読み込まずとも、たぶんそういうことなのだろうなあ と
いつからか考えるようになっていた。



でも、それ、
無意識にやれているときのほうが きっと健全なんだよなあって。


意識はしつつ、自分も人もあきらめない方向で
そうなれたらいいのに。



ほんとに人生に飽きたらロボットのように、プログラムをインストールしたつもりになって生きていくけどねえ。

でも、そんな生活もまた 「飽きて」しまうのかもしれないねえ。
感情があるから。



人間にはどうせ感情がある。
日々、変化する想いや価値観がある。



「決めてしまう」と、苦しくなるのは
どんな道を選んでも きっと同じなのだ。



ここをあきらめてしまえば、
こわいものなんてなくなるよね。

そうなる前に、気がつけるのが理想。



柔軟に、バランスよく、しなやかに、
いたいんだよなあ。
ずっと。





また思い出していた。


昔、まったく話したことのない人の送別会になぜか参加することになった日のこと。


失礼だがその相手に興味を持てなかったので、
自分のことを知ってほしいだとか、話をする気もあまり起こらず
ずっと当たり障りのない質問ばかりして場をつないでいたら
年下の男性に「キャバかどこかでバイトしたことあります?」と尋ねられたこと。

(どんな質問だよ、とは思う)



「ないけど……なぜ?」


「いえ、めっちゃ聞き上手で会話つなぐのうまいので そういう接客経験があるんじゃないかと…」


「モテますよね?」



このカジュアルな出で立ちからよく夜の世界を想像したなあとも思うが、なかなかの衝撃だった。



興味を持てず、自分を閉ざしたときほど「私がなりたかった自分」の印象を抱いてもらえるなんて、皮肉なものだ。



そういうセオリーに沿えば、簡単に愛されてしまうのかな。


うまくいかなかったあれもこれも、
自分を知ってほしいと、思いすぎたのかな。


それだけなの?

そんなことは。



「わかりたい」
「わかってほしい」

「知りたい」
「知ってほしい」


あなたを好き、
私も
私を好き。


どちらもあきらめずにアップデートする方法はないのかな。



まあ、それを年中テストしながら生きていくから、私は
飽きずにいられるのかもしれないけれど。



とりとめもない思考を公開するのは恥ずかしい。
そもそもこんな頭の中の羅列は140字のまとめで問題ないのだが、
最近つぶやき機能に甘えすぎていて
ちゃんと書かなくなってしまう気がしたので。
長すぎなくていいから、考えをオフィシャルに言語化することを習慣化するつもりで。



ここにパブリックイメージなんてものはないはずだから
「もしも」の話をし続けていたいんだ。





というかさ。

もし生きることに飽きても、
こわいものなんてなくなっても、
そういえば、「だれかを傷つける」発想が
まったく浮かばなかった。
物理的にも、精神的にも。


やばいな。
私、いい人なのかもしれない。



こわいものがなくなっても、きっと変わらないものや発見は そこにあるのだな。



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