嘘がないなら、どんどんほめたい(そんな世界がいいな)

「自分をほめるのは自分の役割、他人は自分にダメ出しをする役割」
「…と思うとラクになれるのでおすすめ」
的なライフハックを見たことがある。


自分をほめるなんてほっとんどしていなかった私は
「いつも逆を願っているから生きづらいのか…」と納得しつつも、
「でも、……ほめられたらやっぱり嬉しいなあ」
「人にほめられなくなったらやっぱり嫌だ……」とも感じていた。

いわゆる、自信のないひねくれ者思考なのかもしれない。



書いたものに「いいね」や「すごい」、
作ったごはんに「おいしい」、
好きだからオシャレした日に「かわいい」。


やっぱりどれも嬉しいし、きっと、言われたいんですよね。
心が未熟なのかもしれないけれど、
真剣に本気に、純粋な気持ちでやってきたことほど、リアクションがあれば嬉しいなと思う。



ただ、「ほめる」と言っても そこに嘘があるのはだめ。
というか、「ほめる」の表現が既に違うのかも。
打算もなにもなく、ただ思ったポジティブな感情を言葉にして伝えるだけ。
それが結果的に「だれかをほめる」ことにつながる。
その繰り返しができる生活がいい。



自分の書いたものにリアクションがあることは、ほんとに嬉しい。
たぶん、なにより嬉しい。
泣きながら文章を読んでくださった人の声もあった。
大げさではなく、自分の言葉で救われたり光を感じられたり楽しいと思ってくれる人がいるなら
これからも私の生きている意味はあるな、と感謝した。
そして感想を伝えてくれる人、みんながみんなすばらしい言葉を紡いでいる。
その言葉の力を感じられることも、そこから生まれる関係性も、なんとなく好きだ。
みんながみんな、名ライターなんだよ。
いつも心がふるえる。


いいねの数だけではわからない生の声が、きっとなによりほしいのだ。
一方通行の発信も、心のバランスを保つためには時に必要だけれど
つながっているな、届いているな、と感じられる瞬間がないと、私の心はきっと死ぬ。



そんな経験をしているから、
作り手の方々の作品や心意気に感動したら、
なるべくちゃんと言葉で伝えるようにしている。


おいしかったです、
楽しかったです、
素敵な場所でした、
ライブとても良かったです、
また行きます、
購入して毎日使ってます、エトセトラ。



ほんとうに良い作品なら、クレームの声より好きの声が多く届くといいよね。



そういえば、SNSに写真を載せた際
「この程度の顔でよく載せる気になりますね!大した顔でもないのに」
と全然知らない人から返信が来たことがあった。
見知らぬ相手にその手のリプを飛ばす勇気と時間の使い方に衝撃を受けたが、きっとその通りではあるのでなんとも言えない気持ちになった。
傷ついてないと言ったら嘘になった。


ネガな意見ってたった1件でも、何年も前のことでも、たとえその人自体が大した器じゃないとしても(臆測すまん)結構覚えていたりする。
正直かわいいと言われることが多い生活を送っていた自惚れ女なのでたまにはそんな意見があるぐらいがちょうどいいのだと思うが、
ポジティブな言葉の多さより、ネガな1件の意見に引きずられそうになった体験もまた
言葉の力を感じるきっかけになったのかもしれない。


今は、ポジティブな言葉をありがたく受け取ることが増えたかもしれないな。



余談だが、レストランでデザートやお酒をサービスいただく機会が
なぜか近年とても増えた。
同席した友人に「特殊能力かなにかではないか」と不思議がられたりもしたが、
それはたぶん、おいしさを反射的にリアクションや言葉で表すことが多いからかなと推測している。


よくお店のいくつかでは、何も言わずにビールやジュース、サラダやティラミスや杏仁豆腐が出てきて恐縮したり。
まあ常連のお店ならまだ分かるかもしれないが、先日は初めて入ったお店で手作りのアイスクリーム(絶品)が登場したので自分でも「ま、まただ……」と思ってしまった。ほんとうにありがたいことです。


「あげがい」があるのだろうか。
それとも、お金を落としてくれそうだから過剰にサービスをしてくれるのだろうか。

「まさか年齢より若く見られていて、若い子にはサービス!みたいな感じなのか」
と自惚れ、疑い、あるお店のスタッフにほんとうの年齢を明かしたこともあるのだが
その後もサービスは変わらなかった。
(しかしほんとうに20代に見られていたらしい。すまんな。やさしいな。)



どんな場合でも、きっと「感動は嘘のない言葉で表す」ことは間違いじゃない。そう思っている。





せっかくなので、ついでに「自分を純粋にほめること」を体験してみよう!と思ったのだけど
すこし書いてみたらほんとうに思った以上に恥ずかしかったので
代わりに「今までほめられて嬉しかったこと」「言われて嬉しかった言葉」
その一部を置いて眺めてみようと思います。
なんだかいい夢が見られそうな気がする。

しかし完全に自己満足な日記で申し訳ない。



ララさん、いい顔してるね。

→mixiでつながっていたデザイナーの方が、私の写真入りの記事に反応し、突然こんなメッセージをくれた。ナンパではなかったと思う。
かわいいね。も嬉しいけれど、いい顔、という表現はその一歩先の、人間味を含めた言葉なのかなと勝手に解釈した。その方は後に、有名ミュージシャンのアートワークを手掛けるクリエイターになった。いい仕事、してるなあ。そしてこの方こそ、いい顔してたんだよな。かなりの美形でした。


私、ララさんの綴る言葉が本当に好きなんです。あまり言うと気持ち悪いので控えますが、初めてお見かけしてからずっと、◯◯の魅力について教えていただいてます。◯◯以外の音楽、カルチャーに関するお話も大好きです。


ララさんには、ご自身が受け止めたものをさらに輝くものとして発信する才能があって、私はそのキラキラをおすそ分けしてもらっているイメージです。どうぞこれからもご自身の強みを存分に生かして、ララさんらしい言葉を生み出していってくださいね。遠くからですが応援しています。


本当にいつか小説を書いてください。
それぐらい感動しました。


→SNSを通じていただいたメッセージ。お守りみたいになっている。


なんていうか…性格?

→私の文章についていいことばかり言ってくれる人が、性格が表れている文章だからいいんだ、的な話をしてくれた日があった。他にも素敵な言葉をもらっているのですべて書き記したいが、詳しくは別記事にしよう。性格、と言ってくれたのはとくべつ印象に残っている。ほんと救われた。


感じがいいよね。接客に向いてると思う

→よく行くお店のオーナーに、冗談で店で働かないかと言われた日。接客をしていた日々からはだいぶ遠ざかっているが、もともと好きなことなのもあり嬉しかった。感じがいい、って、いいな。


いや〜…ツイッター見てるわ。ほんと、結構ツイッター見てるわ。

→演劇の世界で活躍している方とお話する機会が何度かあった。私のツイッターアイコンを伝えたところ「知ってる!」となり、その後、ちょくちょくツイートを見てくれていたらしい。
すばらしい作品を作る人が自分の思考丸出しのツイートを見てくれている事実。それは単なる暇つぶしかもしれないが、綴る文字にすこし興味を持ってくれたのだろうか。なんてポジティブに変換してワクワクした。その方は今や話題作ばかり生み出す存在になった。覚えてくれている自信はないが、またお会いできたらいいな。


ララさんが頑張ってること、気にしてくれていること、見てる人は絶対にいます。私も知ってますから。

→10年以上前、大好きだった会社を辞める前にやさしい女性から言われた言葉。
だれも見ていない、知らない、でもそういうものだ、と思っていた腐りそうな気持ちも、だれかの言葉ひとつで息を吹き返したりする。


ララちゃんが結婚したら絶っっっ対に泣くよ

→もう相当前の話だけど、尊敬する年上の女性が「絶対」に力を込めて、でも何気なく話してくれた。あ、ほんとうの言葉と好きをもらった、と思った。たぶん、色々あった話を共有したから そこから抜け出せて良かったねときっと人一倍感じてくれるのだろう。
自分の嬉しい出来事に絶対に泣いてくれる人がいることに感謝した。しかしまだその涙が出るイベントは発生していないので、申し訳なさもある。



まだ書きたいほめ言葉は色々ありますが(贅沢)、寝る準備をせねば。





私かわいい!いい文章書く!
性格も悪くない!センスもある!マジすごい!

………と書いたり思ったりすることにはやっぱり、今のところ、かなーり抵抗がありますが
人から言われた嬉しいことならたくさん書けるし、そんなプラスの感情を循環させる世界にも身を置いておきたい。


言葉にしてくれてありがとう。
だから私も、言葉にしますね。



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