同じ明日は来ないから いつも通りに生きてみる

台風の被害がこれ以上大きくならないことを願いつつ、
昨日みたいなすこし心細い日には
みんなが「元々別の場所にいた」事実を思い出して不思議な気持ちになる。



毎日顔を合わせる同僚、定期的に会う友人、
当たり前のようにみんなそこにいるけれど
当たり前のように同じ場所で会えているのは
ほんとうにラッキーだし、不思議なことなんだよな。



離れて暮らす人たちと距離を感じずにいられるのは、今の時代のおかげ。
大事にしていこう。




「もう一生、同じ日は来ないのだろうな」



そう思う日ほど、同じ明日があるようなさり気ない別れ方をする。



8年前の最終出社の日も、
引越しの当日も、


「いつでも戻れる」

と思い込んだ、さりげない別れ方しかできなかった。



会社なんて顕著なもので─もちろん規模によるとは思うが、
昨日まで毎日会っていたのに
辞めた翌日から、もう一生会うタイミングがないであろう人たちもきっといる。


もうこの場所に足を踏み入れることはない、
もう二度とこのドアの中には入れない、
あのフロアのエレベーターも最後、
あの人たちと会うのは、今日が最後だろう。



センチメンタルになる瞬間はいくらでもあるから
感じやすい私は そりゃあセンチメンタルにもなるし。


お礼のメールを書いたり
部屋の思い出を整理したり
心の中で「またね」って呟いてみたり
非日常な演出で、もちろん区切りはつけているのだけれど。


それでも、あまり劇的には「変わらない」ようにしている。
変わらないように意識している、とも言えるかもしれない。



その気になれば昔住んでいた街にはいつでも行けるし
昔の会社にだって遊びに行けるし
昔の同僚とだって、個人的に連絡を取り合い また会うことだってできるから。


同じ日はないけど、続けていくことはできる。
あまり悲しむことはないんだよって。



そう知っているはずなのに、
実際新しい生活が始まると
「いつでも戻れる」
は、ただの美しい切り札のまま残されていくことが多い。



20年間住んだ街には、その後数回しか足を踏み入れていない。



大好きだった会社に遊びに行ったことも、結局2回程度しかなかった。

やっぱりもう、別の関係性の中にお邪魔している感覚になる。


いつでも戻れるのに、いつのまにか切り替えてしまうスイッチが
この世のどこかには落ちているのかもしれない。



そう考えるとさあ、
今頻繁に会えている人たちとは
大げさかもしれないけれど
人生の思い出を共有しているのだ。

ずっとでも、すこしの間でも

大事にしていきたいよね。




生活が変わっても、戻れる居場所。
それは、ほんとうの意味ではもちろん家であり家族ということになるのだけれど
もし私が、両親兄弟以外の家族を作らないほうの人生になるとしたら。

30年後の私は「どの家」に帰っているのだろうな、と考える。

「どの家」が心配で、誰を思って、家に帰るのだろう。



ひとりじゃないかもしれないし、
ひとりでも、招いてくれる友人や知人や近所の方はおそらくいる。
人間関係を怠らない限りは。

いるけれど、それは「みんなが全員元気でずっと過ごしている」ことが前提となる。



誰もいなくなっても帰れる家。
それがほんとうの、本質的な居場所なのだろうか。

それともその都度、変わっていく居場所を愛していくだけで いいのだろうか。



「自分の命が危ないと思ったら、一目散に逃げてくれ」
「頼むからみんな 死なないでくれ」



『20世紀少年』のケンヂの、この台詞が大好きなんですけど。



私も死にたくないし、家族にも、別々の場所にいるみんなにも、生きていてほしいんだよな。



生き残り、みんなのいつも通りを知っていたい。


生き残り、知らない場所でもいいから、
好きな人たちがいつも通りを送れる生活。
それが私の願う「いつも通りの明日」なのかもしれない。



被害に遭われた地域の皆さまの生活が
早くいつも通りになりますように。


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