『マチネの終わりに』を駆け足で読んだ感想

読もう読もうと思いつつ、やっと読み始め
結局朝まで読んでしまったのです。


こういう気質だから、うっかり新しい物事を始めると大変なことになるのではないかと、いつも自分が可笑しくなる。



これネタバレしない方がいいですよね、映画も公開中ですし。
でも、つらいな。話したいことがたくさん。



たしかに美しい、たしかに切ない、
でもそれだけではなく─許せない。
いや、仮に赦せたとしても、納得はできなかった。


そう、個人的に絶対に「許せないこと」があり、途中、何度も怒りに震えそうになった。
同時に、それが朝まで読み続ける原動力となった。
読み進めるのが辛い、を通り越した「怒りの感情」。
怒りがKindleをタッチする指を高速にリズミカルにさせたのだった。


午前4時、ベッドの中で「なんなんだこいつは」「絶許」と苛立ちながらKindleをタッチしていた人はなかなかいないと思う。
口が悪い。


でも完全な悪ではないから 胸が痛いのだ。
読み進めるうちに、「そうきたか」と複雑な気持ちになった。
 

罰は受けたというか、
そもそも、罰ってなんなのか。


それがこの物語の救いであり 現実なのかな。


完璧な主人公二人だけで物語が成立するわけはないのだった。
きっと現実では余計に。



優しい希望、ねえ。



ほんとうの幸せとはなんだろうか。



変わってしまった過去と未来をまるごと愛することは、時に苦しく時に美しい。


起こってしまった現実は、偶然と勇気と
「人を思う気持ち」
もしくは「自分を貫く気持ち」で変えるしかないのだろうか。


ちなみにリチャード、おめーもダメだ。
(口が悪い)


第一章が一番好きかもしれない。
あんなに完璧な夜があれば、それは確かにお守りになる。
スクショの手が止まらない。し、素晴らしいほどに洋子の声が、ちゃんと石田ゆり子で再生される。
映画、まだ観ていないのに。

薪野のサービス精神あふれる面白エピソードに「おかしい。」と呟いたとき、それ、完全にゆり子さんで再生されました。
まだ観ていないのになあ。観に行こう。でも、あの絶許シーンを確実に観なければならないのが 我慢できるだろうか……



再会の前に届いたメールのくだりも好きだ。
誰がなんと言おうと、ああいう感覚は「ある」と思っている。
愛しているかもしれない、
愛されているかもしれない。


そして、その逆も
触れていないのに わかってしまうときが。


言葉は実際に触れるよりもやさしく冷たいブランケットになる。


多くを語らずとも「わかる」「わかってしまう」二人の空気が好きだ。


見透かされてしまうことが心地悪い人もいるだろうが、この二人はその逆ではないかと思う。
鈍感さに助けられることも、もちろんあるけれども。


お互い気を使いすぎ、なんだよな。


だけど、言葉でわかりあっている二人だからこそ
言葉の行間や空白まで「察してしまう」二人だからこそ、
多くを口にせずともわかりあえるからこそ、
あの「悲劇」が起きたとも言える。

むずかしいものだ。


高尚でポエミーな表現が合わない方は冒頭からゾクゾクするだろうが、
そういう世界観が大好きな私としては、
「もっとください、そのハイレベルな会話を─」
「ブラームスとかバッハとかフーガとかごめんなさいまだそんなに、というか全然詳しくないですが そういう話を交えて会話を続けてください。私はただただ、うっとりしていますから。」
と語りかけたくなった。


クラシックのことは何も知らないけれど、
愛と芸術は似たものなのかもしれない。



二人の会話を覗き見するだけでうっとりしたし、登場人物の名前を目隠しされても、彼と彼女の会話だけを気に入る自信があった。



好きな文章をメモしておきます。


「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。」
「どうしてわかるの?」「どうしてだかはわからないけど、……わかった。」
「──彼は、神様が戯れに折って投げた紙ひこうきみたいな才能ね。空の高いところに、ある時、突然現れて、そのまますーっと、まっすぐに飛び続けて、いつまで経っても落ちてこない。……その軌跡自体が美しい。」
「美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった取柄は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢見ることを忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?」
「どんな恋愛にも、その過程には、こうした装われた偶然が一つや二つはあるものである。そして、しばしばその罪のない噓は、相手にも薄々勘づかれている淡い秘密である。」
「洋子さんの存在こそが、俺の人生を貫通してしまったんだよ。──いや、貫通しないで、深く埋め込まれたままで、……」



ありすぎるのでこの辺にしておきます……。
あとリチャードはアレだけど、フィリップと洋子の会話も知的で洒落ていて素敵だったな。
こういう二人が、「ほんとうの友情」を生涯築くことができたら
男女の友情はある、と学会で発表する材料の一つになるのにと思う。



終わり方はとてもみずみずしく素敵だった。
あの優しい緑の希望の向こうには、何が待っているのだろうか。

想像ぐらいさせてよ、と誰かの声が聞こえるような穏やかさだった。



好きな言葉が宝石のように散りばめられた本に、いくつになっても出会えるものですね。




言葉だけでそこまで「分かりあっていた」ゆえの、対面でのぎこちなさも
自惚れだが、身に覚えがあった。



会わない間もどれほど支えになっていたか、生活の一部になっていたか。


絵空事だと笑われようが、きれいな部分しか見ていないと諭されようが、
あれはやはり、私の人生の一部だ。


何年も何年も、毎日メッセージを続けた男性がいた。
元々はリアルな社会での出会いだったが、会う機会が少なくなると リアルの会話がキャリアメールやスカイプやFacebookのメッセンジャーに移行した。



突然年賀メールが届いたこともあったし(出会った頃はまだグリーティングメールが流行っていた)
お互いの誕生日は必ず文字で祝い、時には対面した。
嬉しい出来事やその逆の出来事があった時には長文で話を聞いてもらった。


他の人は確実に「ついてこられない」文字量の会話を、毎日息をするように続けていた。
大げさではなく、一日何千文字だったのだろうと考える。
朝から晩まで。


私の「ほんとう」は、この人との会話の中にあるのだろうと本気で感じていた。
そして、私の中身はこの人によって「形成される」危機感も同時に抱いていた。


「彼の考え」がまるで「自分の考え」になってしまう、
「彼が経験したことや見たもの」が、まるで自分の体験や知見になってしまう。
自分ではなんの努力もせずに?

その依存にも似た恐ろしさは、いつかやめなければいけないと思っていた。



『マチネの終わりに』ほど複雑な状況が絡み合っていたわけではなかったが、やはりこちらにもそれなりの事情はあった。


ただ同作品とあの恋愛の決定的に違うところは、
「私が愛されていたかどうかは、わからない」
ことだと思う。


私はたしかにあの人を好きで、誰にも思ったことがないほどに好きだった。
それを愛と呼ぶのであればそうなのだろう。


彼はわからなかった。
好意は抱いてくれていたし、愛情もあっただろうが
「思いが貫通した」ほどの感情を私に抱いたことは きっとないだろう。


「好きだ」とは言ってくれたけれど、
それは、さよならをした日の ただの一度だけだった。

どんな意味での「好き」か?
長い間ずっと彼の慎重なポーカーフェイスを見ていた私が、気づかないはずはなかった。



悔いはないけれど、報われた、とは思っていない。


だから─洋子さんは、やっぱりいろんな人から愛され、羨ましがられる人なのかもしれない。


私も、羨ましい。
切ない人だけれど、あんなに完璧な夜が存在しているのだもの。


愛する人に美しい思いを捧げることはできるが、愛する人に思いを「捧げられる」ことは 記憶としてきっと

報われるから。



この日記の相手です。)


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