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年の瀬あちこち日記


 2023.12.12(火)
 山梨からとどいた夏みかんほどもあるゆずで、きのうと今日、この冬はじめてのゆず風呂にする。朝目がさめて洗面所へいくと、まだゆずの香りがのこっている。駅のそばのちいさな芝のひろばに、クリスマスツリーが肩を寄せあってみっつ、ならんでいた。サンタクロースの顔もついている。さんぽにでたのは真っ暗になってからだったので、ほんとうのもみの木なのかとか、ほかにどんな飾りがしてあるのとかは、よくみえなかった。きのうの鍋ののこりをおじやにしてたべた。



2023.12.13(水)
 富士山の雪が、山の半分くらいまでをおおっている。更級日記の作者は、そのようすを前かけをしたかわいらしい子どもみたい、といった。海はとおく、大島まですっきりみわたせる。ぴかぴかの朝、海辺でからだをのばす。

 さんぽみちに、あるふるい自動販売機。なんどもみているのに、きょうだけとても、存在感を放っている。コカコーラの、すこし色褪せた広告が販売機のサイドいちめんに貼られている。それは、金色の髪の毛のおんなのひとが、コーラの瓶からつきでたストローをくわえようとしているところで、その人はすこし上目遣いにこちらをみている。それをみて広告を、かなしくて、なさけなくて、胸がいたいものだと以前ならばおもった。こういう世界に生きているし、いきていくのかと、昔はそれをとてもしんどいことにおもった。どうしたらすっきりリニューアルみたいに、そうじゃない世界になってそこへいけるのか、大袈裟にそのためのすべを空想しては、なにもできずもんもんとしていた。今は、そういうことはない。販売機のうえには、どこまでも青いだけの、何もいわない空がある。それがこの目に、しっかりとうつっている。ここがどんな世界なのかは、じぶんが決められる。

 また歩く。家まで遠まわりしたくなる。もしわたしが世界の縮図だとしたら、そこにいろんな人がいていい。価値観や、感じかた、考えかたをひとつにしなくていい。争いや、だれがいちばんえらいか、だれが仲間外れかなどではなく、みんながそのままで、くらしていければ。



2023.12.14(木)
 誤配の荷物を返送しに、郵便局へいく。中身を書いてくださいといわれ、化粧品のようだったので、そのように書くと、これじゃだめです、と窓口の青年にきつく叱られる。アルコールとかいろいろ、めんどうなんですよ、とのことで、化粧水なら大丈夫だからそうしますか?と聞かれたので、はい、なんでもいいです、と答えると、カンにさわったのか、なんでもいいはだめです!と、また大きな声。あんまりに威圧的なので、ほんとうにびっくりする。誤配なのでほんとうにわからないのですが、というと、そうですか、しつれいしました!と、またおなじボリュームの声。

 お役所とか、いろいろなところの窓口にいる人たちは、だめなものをだめというとき、とても食い気味になるし、妙にいきいきしている。ありあまる正義感がそうさせるのか、日々のうっぷんを晴らしているだけなのか、とにかく気持ちよさそうにしている。そういう光景にでくわすとき、わたしのあたまには抑、圧、のふた文字がちぎれそうな雲みたいにぽっこり、浮かぶ。へとへと、くさくさした気分で家にもどると、「やさしいせかい」を読んでくださったかたからの、やさしいことばでつづられた感想が届いていた。

 三時すぎ、散歩にでる。鴨下信一著「面白すぎる日記たち」と谷川俊太郎著「ひとり暮らし」を図書館に返す。あたまの真上をモノレールが走っていくのは、ちょっとだけこわい。四日間東京通い(往復四時間)のYをねぎらうべく、好物の生チョコケーキ(に近いもの)を買う。



2023.12.15(金)
 朝、まるまるふとったキウイのような、きれいな鳥をみた。「やさしいせかい」を読んでくださった方がたのご感想が、ちらほらと届きはじめている。とてもうれしい。大学の同級生で、いい会社でつとめていたけれどもやめて、沖縄に移住している人がいる。もうすいぶんと、卒業して以来会っていない。彼のメッセージに思わず、なみだがでそうになった。また会う日まで、元気にがんばって。そんなことばを、いくら時間がたってもやりとりできる人がいる。来年がいい年になりますように。からだに気をつけて。いちども会ったことはなくても、そんなことばをかけたり、かけられたりできる人がいる。この世界に生きていることがうれしい、そして、このままということがなくて、なにもかもいつか変わっていくことがまた、せつなく頼もしい。



2023.12.16(土)
 極楽寺の切通しに、色とりどり、かたちもさまざまな落ち葉がいくつものなだらかな山をつくっている。自転車のうしろに乗ったちいさな子どもが、「あたろうか、あたろうよ、」と、口ずさんでいく。その子が通り過ぎてから、わたしもつづきを歌う。北風ぴいぷう、ふいている、垣根の垣根の、まがりかど、たきびだ、たきびだ、おちばたき、、、いつもお願いしている美容院で前髪を切り、担当してくださる方によいお年を、といってみるも、こうも五月のような、生暖かい気候だと現実味がなく、わらってしまう。なんたって今日は、半袖を着ているのだ。

 紅葉をみておこうと、Yと待ちあわせて覚園寺へいってみるも、きのうの強風でほとんどおちたか、もう半分はまだ色づいてないんですとお寺の人。午後、予約していた紫式部と源氏物語の講演会のようなものへいってみる。地元のご老人で部屋はいっぱい。郷土史家のかたがお話しするのだが、冒頭から、紫式部の父と夫のなまえを逆に話していて、会場がぼそぼそ、ん?とか、たかのぶは、とか、いいはじめる。

 先生は、どうも声の感じとかたたずまいが、具合がわるそうにみえるのだが、一生けんめい話しつづけている。話がすすんでからも、どうもレジュメの人名の漢字が、おなじ人で二つくらいあって、どっちがただしいのか、、、とまた、会場がかすかにざわめきはじめる。するとおとなしかった先生が、ちょっとムキになって、いやね、これってほんとうにいるかいないかの人の話なんでね、そのへんははっきりしていないんですよとか、紫式部だって元はといえばほんとうにいたかどうかだれもわからないんですよ、とかいい始めてしまうので、会場も、わたしもわらった。


2023.12.17(日)
 Yと大船に買い出しへ。いきたかったベトナム料理屋さんがお休みだったので、魚屋さんがその二階でやっている、ネタの新鮮な回転寿司屋さんへひさしぶりに入る。カウンターのなかには三人いて、どうやら大将のような、いちばん若い男の人。その人が、老年のすこし背のまるまった男性を、とても大きな声で一喝した。人の話をさいごまできいて、なんできかないの、とか、そんなようなこと。お店じゅうをしばらく、沈黙の一体感が満たす。そこにいたみんなが、じぶんのことのように痛かった。その空気をやぶるように、何もなかったかのように、大将がここいちばんの威勢をみせて、調子のよいしゃべりで注文をさばいていく。

 お会計のとき、大将と目があった。マスクをしているので表情はわからない。口にしたほうがいいことと、しなくていいことがあり、したほうがいいことにはふさわしい時とやりかたがある。しなくてもいいことは、そっと窓のむこうを吹く風に手わたすといい。わたしは大将に、つたわれ、と願いながら、できるかぎりの笑顔でごちそうさまでした、といって店をでた。

 


2023.12.18(月)
 西麻布のお宅で撮影とインタビューをする。つくってもらった信田巻と里芋煮、具沢山サラダ、大葉でつつんだカジキマグロの竜田揚げを、いただいた。たくさん作ったから持って帰ってと、緑と赤のタッパーにつめて、もたせてくれた。

 代々木上原にうつり、ゆきさんと待ちあわせ。中国茶の人気のお店に連れていってくださった。音のない空間、しつらえのすてきなお店、プーアールの熟茶というのを、いただく。三煎目の陳皮をくわえた一杯が、とてもおいしい。ゆきさんは、親世代くらいの人なのに、まったくそんなふうなところがなくて、フランクにいてくださる。お会いするたびいつのまにか、いろんな話がじぶんの口からするすると、糸のように伸びでてくる。ほかに、ゆきさんみたいな人はいない。暑すぎず、かといって弱々しいのでもない、さりげのない日差しのような人。

 ゆきさんが選書をお願いしている本屋さん、city lightにいく。お店が入っているコンクリートのきれいな建物が、あたらしくて、とてもおしゃれで、作り物みたい、とおもう。たまに東京にくると、ほんとうにこれは存在しているの?というもの、命を引き抜かれているようなものが、たくさんある。
 ギンズバーグや詩のコーナー、食の本のコーナー、沖縄やフェミニズムのコーナー、いろいろとある。店主の神田さんの、出版界や本屋さんのお話も聞けて、おもしろい。解散のまえに、鎌倉まで帰るのにお腹空いちゃうからとゆきさんが計らってくれて、桉田餃子のカウンターでゆきさんおすすめのラゲーライスをいただく。らげ、とは材料の黒きくらげの、らげ。海藻スープもつけてもらう。漢方のような、黄色のような、うすい茶色のような澄んだスープに、名前のわからない繊細な海藻がたゆたゆと浮いている。まるでここは海みたいに、おちついた顔をして。いい塩気だった。

 ガイアに寄り道し、冬用のあたたかいずぼんを探していたので、店員さんおすすめを何本かためしに着てみる。evam evaの、グレーのウールのパンツをえらんだ。すこしもこっとしていて暖かさは申しぶんないのに、サイドにたてにラインが入っていたり、かたちがとてもきれいで、着ぶくれしない。ゆきさんは、おなじものの白を買った。買ったばかりのおそろいのパンツに履きかえて、駅までいっしょに帰る。


2023.12.19(火)
 中華街で高校時代の友人たちとごはん。ずっと子どもがほしくて、去年パートナーができていっしょになって、不妊治療もしていた友だちが子どもを授かった。友だちがうれしいと、わたしもうれしい。友だちがかなしいと、わたしもかなしい。友だちにかなしいことがひとつでもないといいと思う。いつも三島から来てくれるもうひとりの友だちもそうだし、目の前で友だちがわらっていることが、うれしい。お店では油がてかてかのビーフンと熱々の大根もちを、醤油とお酢でたべた。友だちはラーメンとチャーハンの中華らしいセット、もうひとりの友だちは中華おこげとビール三杯。

 赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットに行ってみる。ガーリックシュリンプとフライドポテトをたべた。揚げものが多い日になった。たくさんあるく。風はいよいよ冬らしいけれど、太陽がでてよかった。電車で読んだ、かとうひろみさんのふしぎなショートショート集「小さい本屋の小さな小説」の読後感がとてもよくて、胸があたたかい。



2023.12.22(金)
 鍼灸院をでると、ほっぺたが旬のころの桃のようにつやつやしていた。今までのシールのお灸で、がまんしすぎて火傷のあとがふたつできてしまったので、きょうからは鍼をすこし長い、深いところまで届くものに変えてそのうえから、もぐさをのせるやり方にしてくれる。こちらのほうが、わたしは癒えていくのがわかって、いい。

 おむすびふたつと高野豆腐煮を買い、広場でお昼にする。おむすびやさんは、駅ビルのなかにある。お店のなまえに新潟と入っていて、よく働いてきましたというのが手ににじみでているおかあさんたち三人が、やっている。奥のほうでひとりのおかあさんが、お米をひろげてそのうえに具材をすこしづつのせ、ぎゅ、ぎゅ、と押し込んでいる姿がとてもきれいだった。

 横浜から東横線に乗り、出張料理をしていたころ、よく食材を買い出しに行った学芸大学の駅前のドトールに入る。大船の文房具屋さんで買った、四種類の年賀状をつぎつぎに書いていく。お世話になった人たち、そして、『やさしいせかい』を置いてくださっている、全国の書店さんへ。

 三軒茶屋まで歩いて、フォーで腹ごしらえをし、twililightさんできくちゆみこさんと中村祐子さんのトークイベント。濃密な時間で、あんまりおぼえていない。あっというまに時間になり、慣れない三茶の繁華街を急ぎ足でかけ、終電に乗り込めたときは、ほっとした。

 最寄駅につくと、もう真夜中ちかくで、冬が身にささった。あまりに寒くて、その場でうずくまりそうだった。家までの長い長い坂道を上りきれる気がしなくて、Yに車で迎えにきてくれないかときいても、ワインをのんだからだめという。しかたなく身をちぢこめて、歩きだす。線路のうえを通りかかるとき、ふいにするんとゆびわが抜け、どこかに落ちた。レールの付近にはぱっとみても見あたらない、かばんのなかも、荷物を道の隅にひっくり返して底までみても、ない。左手に持っていた財布のなかにもないし、ダウンのポケットを裏返してもない。ちいさなシルバーのまるい塊がつらなっている、とても好きなゆびわだった。

 きょうここでなくす定めだったのかもしれないとあきらめかけていると、青い車が通りかかり、どうしたんですか?と窓から運転席の男の人がいう。寒くて、なさけない気持ちでゆびわをおとしたんですというと、すぐそばの路肩に車をとめてその人が、スマホのライトをつけて駆け寄ってきてくれる。一分ほどしたころ、レールとコンクリートのすきまに光をみつける。あ、あったかもしれないです、というと、隙間にゆびをすべらせて探しだしてくれた。二度、お礼をいう。たいして役にたっていないです、気をつけて、といってその人は青い車へ駆けて行き、あかるい闇のむこうへ消えた。
 


2023.12.24(日)
 辻堂のvery veggyに、ケーキを買いにいく。紫芋のモンブランとふつうのモンブランには銀色のトナカイが、ガトーショコラにはメリークリスマスと書いてあるかざりがのっている。テラスモールで、お寿司をたべる。はたらいている人たちが、お寿司を手際よくにぎりながら、年末のシフトの話をのんびりしていて、なごんだ。わたしは森崎和江さんの「慶州は母の呼び声」と原ひろ子さんの「子どもの文化人類学」をYから、わたしはYにスペインのオーガニックワインを買って、プレゼントにした。



2023.12.27(水)
 年末はゆっくりするつもりだったのに、来年やる予定のしごとをはじめる。なにかしていないと、落ちつかない。「ルイーザ・メイ・オールコットの日記」を借りる。フォーラスカルで昼食をとり、Yといっしょに美容院。一年のごほうびにと思い、ヘッドスパをしてもらう。



2023.12.28(木)
 午前中、台所のふだんそうじしていないところを、きれいにする。精米機の底にたまったぬかを落とし、トースターの内側と皿をつるつるに洗う。食材をいれている棚を整理し、白いタイルの壁にこびりついたしみを取り、吊り棚につもったほこりを払う。ごみ箱や炊飯器のあらゆる面を磨く。お昼に、大磯で買った固定種の、苦くて芯のあるレタスの残りをサラダにして、アスパラ菜をごまあえにする。ほっけの残りも焼き、さつまいもをほそく切って蒸し、はやとうりときのこと静岡のイカを蒸し焼きにした。お米は何ヶ月ぶりかに土鍋で炊くと、ずっとおいしい。



2023.12.29(金)
 お昼に奄美大島の赤土のついたじゃがいもを、蒸してから焼く。つやのある紫いろをした長ねぎは素焼きに、割引になっていた北海道のかすべという魚を、ちいさなかぶと煮付けにする。生の菊芋、ピーマン、トマト、春菊でサラダもする。バルサミコ酢とめんつゆ、塩麹をまぜてたれをつくる。

 年の瀬の鎌倉を、ニューバランスの底の厚い靴で、早足であるく。この街には雰囲気のいい花屋さんがたくさんある。いくつかをのぞいて、てごろな正月飾りを買う。おなじような作りの、米(黒米のもあった)と麦、どちらをつけているほうにしようか考え、シルクのようなやわらかい麦の白さに、そちらをえらんだ。

 紀伊國屋の鳩居堂コーナーでは、芹沢銈介の作品で、琉球紅型の絵がのった卓上カレンダーがさいごのひとつになっているのをみつける。きちっとおめかしをした年配の女性であふれている店内は、年末歳市をやっているので混んでいるが、やさしい店員さんがカレンダーの袋の中身をあけてくれて、ひと月づつ柄を見せてくれる。華やかで、きれい。あとでしらべると、芹沢さんは鎌倉は腰越の、農家の離れを仕事場にしていたことがあると書いてある。文化人といわれる人たちが旧鎌地区や、由比ヶ浜や大町などにこぞって住むなか、漁師町で農村でもあった腰越の村というところが民藝のひとらしい。一九五〇年代のこと。

 観光地鎌倉は、年の瀬も勢いと活気がある。鎌倉の住民とおぼしき人も、鎌倉の外からきている人も、いきいきとしている。焼きたてのラザニアの、いい匂いのする洋食店の軒先に喜界島のオーガニックトマト、ひとつ二百円といって段ボールにつまれていたのを買う。へたがめずらしい蜘蛛の手足のようにほそ長く、四方に伸びていて、身はぷっくり張りがある。ソンべカフェでは軒先に、百回ついた山形の農家もち、というのがでている。四角いのは男もち、まるいのは女もち。四角いほうが大きいような気がして、Yはこっちがいいというだろうと思ったが、かどがあるよりまるがいい。レジにもっていくと、これ、さいごの一個ですよ、おいしいよ、と店主さんがいう。



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