見出し画像

家へかえるための旅|神戸日記




四日目
 洗濯物は、ひと晩せんぷうきにあててもらって、ほとんど乾いた。あやちゃんのごはんは、ちいさなお皿にいろいろのおかずがならべられて、旅館の朝みたい。リンゴジュースとひえの粉でつくったあたたかいデザートは、いちごが入って、すっぱ、あまい。ごちそうさまでした。井田家を訪問したひとが書く、井田家訪問記をつくって、そこへ、わたしが起きるまえに小学校へ行ったあゆくんへのてがみを書いたところで、出発の時間。

 井田さんが運転して、あやちゃんと駅まで送ってくれた。後部席で、しっているような、なんにもしらないような街並みをぼうっと眺めながら、家族の絆がいいように作用しているというのは、こういうかんじなのかもしれないと、かんがえた。連絡はほとんどしないし、わたしがなにかを熱心にしていても、ときに甘えがでたり、わけがわからなくなっていたとしても、基本的には放っておいてくれるし、むこうはむこうで好きに生きている。けれど、それは根っこのところで相手を信頼しているからであり、だからこそ、簡単に手をさしだすこともない。ほんとうのほんとうにまずくて、崖のふちのふちまできてしまった時以外は、まことの自由を尊ぶようなのが、行き渡っている。ときどき思いだすことがあったり、そのたび強くもよわくもないちからで元気でいてと、念を送って、またじぶんの目の前をいっしょうけんめいにやる。そういうもの。



 旅の最終地は、二度目の神戸。ここでは、しごとをする。きょうは前乗り。七年前、花隈でみんなで泊まって、夜西さんという滋賀にくらす監督のアクション映画の撮影をした。わたしは、刑事。白いシャツに、血のりをどばどばつけた。高いビルの屋上で撃ったり、じわじわにじり寄ったり、外国からきた凄腕の人と手を組んだり、慣れないことにいそがしかった。六月の、湿気に満ちた日々。休みの日にうろうろした街角は、あんまり変わっていない。夜西さんは、わたしのことをずっとまっすぐに信じていてくださった人で、いらないものは固い意思ではねのけてよどみなくものをみている目が、今も残っている。

 気になる本屋さんは、ふたつともお休みの日。3 ET DEMIという、インスタグラムで知ったセレクトショップで気になっていた春のブラウスを、一枚。山の手のFARMSTANDで、お昼のプレート。旅先であちこち歩きまわり、目まぐるしく、一秒一秒がみずみずしく光を放っているような時、お腹もすっからかんになっていざごはん屋さんに落ちつき、ひとりほっとひと息いれるとき、ほんとうにしあわせな感覚でからだじゅうが、しんみりと満たされていく。生きているし、これからも生きていくと、次いつたべられるかわからない人の手の味を、心ゆくまでたのしみながら、日だまりを招くように心をうるおわせる。

 あすの朝ごはん用に、まんまるおむすびをふたつ。ちりめんの酢味噌と、須磨の生海苔としいたけの佃煮。おむすびに工夫がいっぱいのお店はいつも、あの人と友だちになりたいなあ、の気持ちみたいにほくほくして、あっというまに好きになってしまう。ほかにも、干し柿みそや、落花生生姜みそ味などもある。

 日も傾き、帰路につきながら、グルテンフリーのお菓子やさんをたまたま見つける。閉店まぎわ、のぞくと菜の花の、あまくないワッフルというのがある。刻んだ大豆ミートのおやきみたいなパンと、いっしょに買う。

 ロビーに降り、しごとをすこし。ちょうど宿泊者専用の無料ドリンクと軽食がだされるバーの時間帯とかぶり、あふれるほどの人が入れかわり、立ちかわりしていく。どこからかきて、どこかへ向かい、きた場所へかえる、人たち。わたしも、そのうちのひとりで、まぎれたり、はぐれたりしながら、今という瞬間にたまたま、定めかのようにしている。納豆とピーナッツ豆腐をスーパーで買い、夜ごはん。 



五日目
 朝いちばん、新幹線のきっぷを取る。おおきなスーツケースがあるから、いちばんうしろの通路側を、というと、きょう三連休初日ですからねえ、と駅員さん。運良く、空いていた。泊まったホテルのまわりは、布引町、琴ノ緒町、雲井通などある。その土地に流れてきた時間を、ちゃんと名前にとどめているのは、すてきなこと。

 有馬まではいかない、けれど山あいの町のお宅に、おばあちゃんシリーズの撮影へゆく。気丈で、朗らかな人。長い長いその人生の、たったきょうのその人しかしらないのに、お互いに生きてきたということ、今生きているということ、あすもいきていくということ、その端っこと端っこですこしづつ、あるいはかろうじて、またはゆるやかに繋がっているわたしたちの、縁やふしぎ。

 その人は、家族とは愛すべき集団だ、と言った。なにかあったら、けがをしたとか、寝込んだとかしたら放っておけない、気が気じゃなくなるし、いてもたってもいられない人たち。けれどね、年をとって、変わったの。心配は心配なんだけれど、ぐーっとそうなるのは、一日だけ。次の日からは、きっと大丈夫だって、わすれてしまうの。
 
 山をくだり、ご紹介してくださったお孫さん(もうすぐ鎌倉に越していらっしゃる)と、別れる。こちらも、ふしぎなご縁というものがあり、お孫さんがこの企画に応募してくださったから、きょうが叶った。

 さいきん、すこしばかり考える。写真や動画にしたいものと、したくないものがある。したいものは、できるもので、したくないものは、できないもの。できないものが、すこしづつ、ふえている。そうあるほうが、私はもしかすると、しあわせかもしれない。

 ふと思いたち、新幹線の時間を気にしながらも宿行きをやめ花隈で、おりる。気になる本屋さんがひとつ、行ってみようと思いたち、電話をいれる。この辺りに、映画の撮影のときは宿があった。アメリカから帰国していたケンセイさん(わたしはケンセイさんの孫の役だった)の、刺身をたべるのに醤油を買いわすれて、また気が遠くなるような坂の多い道を醤油のために、スーパーへ引き返していった姿が、あのあとなんどもまぶたに浮かんでくる。ものごとは、ベストの状態でしなければいけないよと、味わうやたのしむに妥協はないのだと、おそわった。

 本の栞さんへ、「やさしいせかい」をお持ちする。その場ですこし、読んでくださり、置いていただけることに。うれしかった。あとから入ってきた青年も、わたしとおなじように本の売り込みをしていて、同志であるな、とくすっとした。


 宿にむかいながら、昨日のワッフルのお店に寄る。新幹線の時間が、せまる。どんどん早足になる。きょうは海苔ワッフル。三つください。どこまでも入りくむ、長い長い商店街は、まだ通りがかっていないお店がたくさんある。どれだけ歩けば、すべての道を通ったことになるだろう。

 タイムセールをしていた服屋さんで、わたしより若い人たちでごった返しているなかを、春らしい黄色のだぼだぼのトレーナーをみつけ、一枚買った。首元にブイの、切れ込みが入っていて、短かい首がきれいにみえる。 

 駆け足で宿にスーツケースをとりに行き、新神戸行きのバス停へむかう。ひとつ前に並んでいた、大学生くらいの、陶器のようにきれいな肌をしたお兄さんにバスの行先があっているかたずねると、ぼそぼそした声で、とても親切にこたえてくれる。いちどお礼をし、また列にならんでまっていると、お兄さんが振りむき、言う。降りると、そこは道のとちゅうで階段しかなくて、え?ここ、って思うんですけれど、それを登っていけば新神戸駅があります。
 道なかばで、ふとうたがっても、ちゃんとつうじる、道はあるという。行きたい場所へ、いける道。ありがとう、あなたと話したら、わかった。わたしは、家に帰るために旅をしているのだと。






この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。