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南伊豆日記:この星の生き物で料理をするのは人間だけ

昨年に引き続き、今年もアーツカウンシルしずおか主催の「マイクロ・アート・ワーケーション」プログラムに参加させていただいた。昨年の行き先は、三島市。高校時代を過ごした場所ではあるけれど、当時の目にはみえなかった世界や、出会うことのなかったさまざまな人たちに会うことができた充実した七日間だった。


今年の行き先は、南伊豆町。実家のある伊豆半島、そのいちばん先っちょだ。東側の下田や西側の松崎までは行ったことがあったけれど、本当の本当の先端で隅っこにぽつりとある南伊豆町を訪れるのは初めてだった。滞在まとめをここに。

1日目〜7日目まで、それぞれのできごとを記録することが滞在中の唯一の任務。少々骨が折れる作業ではあるけれども、同時に楽しくもある。その日にあったことを忘れないうちに書き残しておくって、くすぐったいけれど大切なことのように感じられた毎日だった。毎日日記を書いていた小学生のころに少しだけ戻ったような気持ち。
旅では必ず土地の食べものを買ったりいただいたりなどして自炊をするので、そのことをメインに。

タイトルにも書いたけれど、人間だけが料理をする生き物、なんだそうだ。それはどういうことかっていうと、ひとことで「とてもよわい」いきものであるっていうことなんだと思う。そのままではうまく消化することができなくて、ほかの動物がしているみたいに野菜とか木の実とか肉とかを生のままで食べられない。だからものすごく慎重に細かく砕いてみたり、毛とか虫とかを一生懸命取り除いたり、火を通す必要がある。それが料理の始まりで。

そう思うと「よわい」ということは必ずしもわるいことではなくて、考えようや工夫しだいでいくらでもどうにかすることができて、もっと言えばあらたな楽しみを発見することにも繋がっている、すごくすばらしいことなんじゃないかと思う。 

今でこそ料理は商売、娯楽、癒しなどさまざまな形として世の中に広がっているけれど、もともとはどうしようもない弱点を克服して生きのびていくために到達した創意工夫の成果なんだと思うとおなかの底に眠る原子時代からの力みたいな、果てしない活力が湧いてくるような気がする。

人は皆きっとそれぞれのよわさを抱えて生きているものだけれど、それは与えられた人生をじぶんらしさをいきいき活かして生きていくためには必要なものなんだろうな。

南伊豆町、またきっと近いうちに訪れます。幸せな出会いがいくつもあったな。お世話になったみなさん、ありがとうございました。




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