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癇癪

他人の人生を消費することについて
正しい、というか伝統的なことかもしれないし、それが本当かもしれない
私は人生が他人にコントロールされていると感じたことがあまりないからわかんないけど、もしあなたたちがその苦しさを感じていたなら、ごめんねって謝っちゃうかも。こちらが強制したことかもしれないのに?なんて傲慢なんだ。

私が生涯で、最も愛し、最も愛された人が、この人生でよかったって思えるように、努力したいんだけど、申し訳ないことに私の人生ってそれだけじゃなくて、いや、あなたたちのことだけ考えていたいんだけど、それももしかしたらただ消費して、ただエンタメとして楽しんでいるだけで、誠実じゃないかもしれない。あなたたちは人生をかけてくれているのに、私はそうではない。フェアじゃないことが申し訳ない。あなたたちの人生だから、自由にしてほしいんだけど、どうしても「こうしてほしい」「これはしないでほしい」という欲がでてきて、我ながら気持ち悪いと思う。私が勝手に理想の偶像を作り上げて、それを信仰しているだけなのに、それを生身の人間に当てはめて、一喜一憂して、なんか、悲しい。
どう応援していくのが、自分にとって心地よいのかがまだあんまりわかっていない。アイドルは人生にしない方がいいんだけど、でも実際人生救われてるし、それの両立ができない。
楽しいし、うれしいし、まるで自分のことのように喜べる時もあるし、でも、心穏やかではない。感情の起伏の激しさがいい方向に作用するときもあるし、悪い方向の作用するときもある。大きな感情が自分を鼓舞してよりよい自分になれることもあるし、その鋭さで自分を殺してしまうときもある。
私とあなたの双方が、お互いに、心地よくあればいいと思っているけど

本当は今すぐこんないかれた産業構造から逃げ出して自由な人生送ってって言いたいんだけど、私は欲深だからそれは寂しくて、いつもそばにいてほしい。それに「ずっと一緒に音楽をやっていたい」と言っていたから、もし私たちが居なくなったとしても、ずっと音楽をしてくれるはずだと信じている。その少しを見せてくれさえすればいいと思う。こんなこといったらいつも「caratのために、」っていってくれるのに失礼かな。ごめんね

多くの人はアイドルを応援するときにこんなこと考えないよね~でも考えちゃうんだよ。も~分からん

正しさって誰の尺度で、何のためにあって、それはなんなんだろうね。

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