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僕はケンタに恋をした。②(天国の終わり)

*ここからご覧になる方は、是非一番最初からご覧頂くと前後関係が分かるかと思います*

自分の通っていた中学校は1年の終わりにクラス替えがあるが、その後のクラス替えはないことが慣例となっていた。

だが、自分達の代はたまたま2年に入り転校生が増加し、3年からもう1クラス増えることになり、クラス替えをすることになったのだった。

1年の時はケンタと一緒だったが、2年になるとそれぞれクラスが別れていた。ケンタとの楽しい日々とのギャップもあり、自分は新たなクラスに馴染めなかった。なので、3年のクラス替えは願ってもなかったことだった。

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そして3年のクラス発表。

まさかのケンタと同じクラスに!!願いは現実となった。
その他の同級生も仲の良い友達が多く、まさに天国のような出来事だった。


今では信じられないが、当時は携帯電話創成期で”カメラつき携帯電話”が出てきたような時代。
学年でも携帯電話を持っている生徒はほぼいない状況だった。

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(カメラ付き携帯はホントに画期的でした)

ケンタは毎日電車に乗りサッカーに通っていたので、当時としては珍しく携帯電話を持っていた。

自分は持っていなかったが「どうしても欲しい!ケンタとメールしたい!」との一心で「当時通い始めた塾の帰りに連絡するために!」と無理矢理親を説得し、あくまで家族共有携帯として買ってもらった。

最初はリビングに置いていて、日中は母親が使っていたりしていたが・・・
自分でメルアドを作り、友達からメールや電話が入るようになったら、だんだん学校から帰ったら自分の部屋に持ち込み・・・
最終的には自分の所有物にしていた。

今となったら、自分はうまく既成事実を作ったと感心してしまう。

と、話が脱線したが、自分の所有物となった携帯電話がケンタとの大切なコミュニケーションツールとなった。

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(今ではLINEが主流になってメールって仕事以外使わなくなりました)

ケンタはサッカーが終わり、帰りの電車で毎晩メールをくれた。

あの時は他にメールする人もあまりいなかったからだと思うのだが、毎日ケンタからくるメールが楽しみで仕方なかった。

メールでは色んな話をした。

その当時、ケンタはプロのサッカー選手になることが夢で、よくそんな話をしたっけ。

それは夢で終わることの無いように思え「自分はケンタのマネージャーになって、ケンタを支えるよ!」なんて半ば本気でそんな話をしていた。

メールのおかげもあってか、ケンタと自分はかなり仲の良い友達になっていった。



3年も梅雨の時期に差し掛かると少しずつクラスにもまとまりが出てきた。

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そんな頃だった。相変わらずケンタと自分は仲良かったが、たまたま席替えをした際に、カズキというバスケ少年がケンタの隣になった。

そう、それがケンタと自分の大きな分岐点となったことを、その時自分は知る由もなかった。

ケンタとカズキは3年になって始めて同じクラスになったので、これまで面識はなかったようだが、どうも幼少の頃同じサッカースクールに通っていたという共通点があったようで、次第に仲良くなっていった。

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ケンタは基本的に優しい性格なので、カズキと仲良くなっても自分との関係が悪くなったのではなく、これまで通り優しく接してくれたしケンタにとっては「何も変わっていない」と思っていたのだと思う。

だが、変わったのは私の方だった。

自分でも驚いてしまうのだが「これまで向けられていたケンタの矢印はカズキに向かった」と思い込み、嫉妬心がメラメラと出てきた。

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不思議なことに、ケンタは1年の時に同じクラスだった女の子と付き合っていたが、それに対しては嫉妬心もなく「彼女は彼女、自分は自分」と割り切りが出来ていたので、何とも思わなかった。

むしろ、ケンタと仲良かったので彼女からも相談をもらうことが多かったくらいで、彼女とも良い関係を築いていた。

なので、カズキの存在は私にとって大きな阻害因子になった。
そして、それがケンタへの想いを怒りに変えることになったのだ。

「これまでこんなに仲良かったのに!なんでなんだ!元の生活を返せ!!」

まるで一方的に振られた元カノのようだった。
今冷静に考えると、自分にここまでの嫉妬心があったことに、自分自身とても驚いている。

相変わらずケンタはメールをくれたが、頻度が減ったのは事実で、それに対し自分も態度をそっけなくしたことあり、次第にこれまでのような仲の良さはなくなっていった。

そして、私はとんでもない行動に出た。

ケンタと口をきくことをやめたのだ。一切をシャットダウンしたのだった。

そして、怒りを受験勉強へ変えることにした。


つづく


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