安倍晋三元首相の国葬はいつか来た道

 本日2022年7月22日、あきらかだ2週間前選挙期間中に銃弾による凶器で民衆の前で不慮の死を遂げた安倍晋三元首相の国葬を9月27日日本武道館で執り行われる事を閣議で決定した。もし実行されたら吉田茂元首相以来の国葬という事になる。
この国葬の開催を巡って賛否渦巻いているが結論から申し上げると私の意見は国葬には絶対反対の立場だ。まず国葬にしよう、という動きムードがあまりに不穏すぎる。当然支持者からしてみたらその功績を讃える為に、という想いがあるだろう。しかしそれと同時に批判を免れない事も数多くやってきたのも事実だ。選挙期間中に「こんな人たち」と有権者を二分するような発言を平気でしたり、国会答弁で虚偽の発言を108回も平気でしたりこれは亡くなったからチャラにできる、なんてものではない。更に彼は首相時代に「私は立法府の長」という発言をした。普通首相は「行政の長」だから間違いなのだが彼の頭の中は恐らく自分は国会の王様で、行政や司法は自分の欲望を充たすための手足に過ぎない、という考えが渦巻いてたんだと思う。「数多くの疑惑に自分と妻が関与してたら議員も辞める」という発言もその発言が正解になるように本来の事実を歪め新しい事実を忖度によって作り替えていく、こういう動きからも明らかだ。だからそんな彼の国葬を閣議で決める、という事は亡くなられた安倍晋三氏を神格化したい、という表れであり、それが証拠に先日大勲位菊花大喪章の授与も閣議で決定した。
国会の王様として振る舞っていた彼を神格化、英霊化するということは彼に対しての批判がタブーになり、安倍晋三に批判的なものは非国民である、という踏み絵に使われかねない。そうやって全体主義国家に舵を切った瞬間、目の前にはいつか来た道が広がっていることだろう。

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