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業界卒業の準備中

久しぶりのnoteです。
気がつけば半年ぶりぐらいの更新になっていました。 ちょっとしたきっかけで書く習慣を止めてしまうと、なかなかルーティンに戻れないのを実感しています。 Facebookも、業務以外のメールも、いろいろ書くことが億劫になっていた半年でした。

前回、昨年11月に書いたように「#心が折れた開発ワーカー」になってしまった後も、相変わらずガーナにいて、毎日ため息を吐きながらも淡々と働いています。 が、さすがにこのnoteも含めたSNSに書くのを躊躇うほどに、毎日が愚痴と任国批判の連発になり、心身の健康にも支障を来すのではないかと思うようになってきました。 今年に入ってからの日々の目標が「怒らない・呆れない・ストレス溜めない」になり、これではいかんと言うことで、今年9月に1年間の契約が切れる時点で日本に帰国をして、開発ワーカーの仕事から完全に卒業することを決めました。所属先にも派遣元の某機構にもその意思を伝え、もう任期終了を見据えた卒業準備に入っています。

来年4月から就く全く別の仕事が決まっているから、と言う気楽さもあるのですが、1998年からの20年間やってきた開発援助・国際協力の仕事を終了することに葛藤がなかったかと言うと、これが不思議なほどになかったのですね。 もともと歳をとったら途上国を転々とする生活はきつくなるから、50歳になったらこの仕事から足を洗うと宣言しており、これが数年早まっただけのことと言うのが実感です。 しかもガーナでのこの半年近く、助っ人ガイジンとしての開発ワーカーの仕事がとても報われない(助っ人任せで自立性ゼロ、仕事にも来やしない役人がマジョリティの環境で勤務中)こともあり、もうこんな仕事を続ける意欲が失せた、という状態だったので、潮時をすっと受け入れられたのかもしれません。

変な話ですが、ガーナでの業務がこれほどまでに手強い仕事となったのも、「もう十分やった、お腹いっぱい」でこの業界から卒業するのにいい機会だったのかもしれません。最後の国・仕事がとても楽しくて、やりがいがあって、毎日会う人々が素敵で幸せ!な日々(基本、この仕事ではありえなさそうだけど・・・)だったりしたら、日本に本帰国して次の業界で仕事をすることになってもどこかで後ろ髪を引かれていたのではないかと思うのです。隣の芝生がそれほど青くないことも身をもって体感しておけば、新しい仕事で行き詰まった時にも、血迷って判断を急ぎこの世界にまた戻ってくることもないでしょう。

と言うことで、開発ワーカーとして残っている私の時間はあと4ヶ月。 できることはやり、私がすべきでない仕事は断り、心も体も壊さず、少しでもこの国の人々の健康に資する仕事を淡々とこなしていきたいと思います。