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夕方のロバ #12

カエルはロバの背中から落ちて目を覚ました。

運よく多年草の葉の上に落ちることができたので、直接地面にたたきつけられることはなかったが、うまく受け身が取れず、転げまわって仰向けで止まった。

仰いだ空は夕日が美しく、オレンジ色とブルーの混じるちょうど境目の色をしていた。

ゆっくりと流れる雲は、日の当たる部分と当たらない部分のコントラストがはっきりしていて、コーヒーに落としたばかりのミルクのように、かき混ぜたくなる衝動をカエルは覚えた。

「いつか空をマドラーでかき混ぜる」

考えてみて、カエルはもっと自由でもいいような気持ちになった。
まだ夢を見ているみたいだ。

「ごめん!驚いてバランスを崩しちゃって。どこか痛くしたのかい?」

カエルがなかなか起き上がらないので、ロバは心配して声をかけた。

「大丈夫。どうやら長く夢を見ていたみたいだ。」カエルは目を開いて、横に立っているロバを見上げた。

「良かった。どんな夢を見たの?」

「海の夢だったけど。どんな夢だったかな。」

カエルは細部を思い出そうとしたけれど、いまいち記憶のピントが合わなかった。

ただ、海底の暗闇の先に、ロバの宝石のような瞳を見た記憶があったが、言うのを躊躇った。細部はぼやけているのに、妙に実感を伴う夢だったからだ。

「それなら、僕もさっき海の夢を見たよ。風が穏やかで温かくて、日差しも強かったから、南国の海だったのかな。行ったことはないけどね。」

「いつか行けるといい。」

カエルの言葉はひどく小さかったので、ロバはうまく聞き取れなかったが、ロバのことを思って言ってくれたことは理解できた。

「そうそう。僕が驚いたのはあれさ。」

ロバが山の上の方を鼻で指した。カエルは起き上がってその方角を見た。

一瞬、やはりまだ夢を見ているのかと思った。

あるいは海底の方が現実だったのだろうか。

目を向けたそこには、夕焼けに染まる巨大な銀の塊があった。

「…潜水艦?」

カエルはか細い声でロバに尋ねた。その時初めて、ひどく喉が渇いていることに気が付いた。水の中の夢は、状況に反してひどく喉が渇くらしい。

「うん。潜水艦みたいなんだ。僕も初めは信じられなかったんだけど、どうやら光って見えたのはこの銀色の船体だったようだね。」

「でもどうして、潜水艦なんかがこんなところに…」

カエルは潜水艦の方に近づきながら、この銀色の躯体の細部を見回した。

これがどう見ても潜水艦に見えるのは、やはり楕円形の独特な形状と、突き出た操舵室と、そこから空へ伸びた潜望鏡のせいだろう。

入口は横にはない。おそらく、上にあるようだが、もちろん地面のカエルからは見ることはできなかった。

全長はさほど大きくなく、どこかの軍隊が所持しているというよりかは、大学の調査機関が海底を調べるときに使用するような作りだった。

丸い小窓がついている。

「この中を見てもらえないかな。僕には見えなくて。」

カエルがそうロバに頼むと、ロバはちょうどあった腰くらいまでの高さの石に前足を乗せて、恐る恐る小窓を覗き込んだ。

「誰もいないみたい。操縦席のようなものはあるけれど、それ以外は何もないよ。でもいたるところ錆びているから、長い時間ここにあるようだね。床に水が溜まっているよ。」

潜水艦がここにある理由をもう一度考えてみたが、まったく見当がつかなかった。

しかし見れば見るほど、何故かずっとここにあってもいいような、あるべくしてあるような、妙にその空間に馴染んでいるような印象をカエルは受けた。

「もう一度、君に乗せてくれないかな。」
カエルは小窓の中を注意深く覗いているロバに向かって言った。

「眠くなったの?」
「そうじゃないよ。中に入ってみるんだ。雨が入りこんだなら、上の方から入れるかもしれない。」

「一度入ったら、出てくるのが大変なんじゃないかな。」

「大丈夫。その時はその時に、出てくる方法を考えるさ。」

ロバは少し心配そうな顔をしたが、カエルの目の前に頭を下げてやった。

カエルはロバの鼻先にちょこんと飛び乗り、額の辺りまで登った。そして操舵室がちょうど船体から突き出たあたりまで連れて行ってもらった。

カエルはロバの額から飛び降りると、操舵室の天板までその銀色の塊を登って行った。

思った通り、入口の天板は閉まっていたが、一部が錆びて、硬貨くらいの隙間が出来ていた。
そこからカエルは中に入った。

ロバはそれを心配そうにただ見つめていた。

しばらくして、溜まっている水の上に、ポチャンと何かが落ちる音が響いた。おそらくカエルが着水したのだ。

水の中に入ると、カエルは操縦席までの通路を泳いで移動した。

移動しながら、カエルはあることに気が付いた。そして、もう引き返せないことを悟った。

床一面に溜まった水は、雨の水ではない。水は塩分を含んでいて、どことなく磯の香りがした。

それはまぎれもない、”海水”だった。



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