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夕方のロバ #13

顔のないカエル③
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操縦席を目指して泳いでいたのに、カエルは今自分がどこを泳いでいるのかわからなくなっていた。
泳いでも泳いでも、どこにもたどり着かない。

「夢の中を泳いでいるみたいだ」
カエルは泳ぎながら、さっき見た海底の夢を思い出していた。
肌に感じる水の感覚は、夢の中とどことなく似ているような気がした。

ふと不安になって水面に顔を出し、カエルは息をのんだ。
同時に頬に生暖かい風を感じた。
数羽のカモメが水面ぎりぎりを飛んでいるが、カエルには気づいていないようだった。

「いったいどれが夢なんだ」

そこには空が広がっていた。今にも降り出しそうな、灰色の空だ。
静かだが波が立ち、水平線がぼんやり見える。

「僕は”海”に落ちて、こうして”海”を泳いでいる。」

カエルは初めて海を泳いだ。泳いだことのあるカエルの方が少ないかもしれない。
海水で生きている種類もいると、何かの本で読んだことがあった。

ふと、目の前を動物の角のような形をした、頑丈そうな枝が流れてきたので、カエルは捕まってそのままよじ登った。

「海なんて、思ったほど気分のいいもんじゃないな。」

カエルは潜水艦の銀色の船体と、心配そうに見送るロバの顔を思い出した。
想像の中のロバは、今にも泣き出しそうな顔をしていたので、カエルは少し心細くなった。
見上げた空も、やはり泣き出しそうな色をしていた。

その時、思った通り、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
一滴がカエルの背中に落ちた時、はじめて雨のありがたみを感じた。
いつもはありがたいなんて考えたこともなかった。
塩水は少々刺激が強すぎた。

「ロバくん、心配しなくていい。なんとかなりそうだ。」
カエルは目を閉じて、海底の中で見たロバの宝石のような瞳を思い浮かべた。
さっきはぼんやりしていたその光景を、今ははっきりと思い描くことができた。

ロバの瞳はカエルをまっすぐ見つめている。
カエルはその真剣なまなざしに、なんだか救われる気持ちになった。

「君は君で、元気で」

カエルはロバに向けて、別れの言葉を送った。
ロバの瞳が一瞬揺らぎ、宝石のような色は次第に瞼の裏に溶けて見えなくなった。

カエルは目を閉じたまま、流木の上で仰向けになって雨に打たれていた。
綿菓子のような優しい雨だ。

「君は君で、元気で」
ふと、そうつぶやいたのは、瞼の裏のロバの方だったような気がした。



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