夕方のロバ #9
顔のないカエル①
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夢を見ている。
深い海だ。真っ暗で何も見えない。
そして、何も聞こえない。
音が聞こえるという感覚がわからなくなる程、
深くて濃密な静寂があたりを包んでいる。
もしかしたら鼓膜が破れているのかもしれないと思ったが、もはや確かめようがない。
しかし、身体を圧迫する水の感覚だけが、否応なくここが「果てしない海の底」だと伝えている。
カエルは目を閉じてしまうことにした。
いや、もう閉じていると思っていた瞼を、あらためて閉じたと言った方が正しい。
それくらい闇は深く、捉え所がない。
そしてカエルは考えている。
なぜ海底にいるのか、について。
しかし、全く心当たりがない。
それどころか、昨日の就寝時間も、朝食も、1分前、10秒前のこともうまく思い出せない。
思い出そうとすればするほど、記憶はけむりのように、記憶以外の領域と混ざり合ってしまう。
「あらゆる記憶が、今この時点から生じ、今この時点から失われている。」
カエルはそう思うと、考えることをやめるわけにはいかなかった。
今「思考していること」それだけが、自分の存在を辛うじて保っているのだ。
思考を止めてしまう時、存在もまた失われてしまうように思われた。
カエルは考えている。
文字通り、盲目的に。
頭の中に浮かぶ虚像を、ひたすら色のついた実像に変換していく。
実像は認識した瞬間に再び虚像となる。
完成しない絵画が、永遠に壁に飾られることがないように、それらを記憶に焼き付けることができない。
次第に頭の中にも、夜の帳が下りるように、真っ黒な静寂が近づいてくる。
その気配に、カエルは身震いする。
ふと、暗闇の中に、キラリと光る2つの物体を見た。
カエルは意識をその輝きに集中する。
輝きは他のイメージと違って消えることがない。
そして、次第に色づいたその輝きは、ブルートパーズのようなクールで爽やかな青色で、そうかと思えば、ガーネットのような情熱的な赤色の光を帯びて浮かんでいた。
やがてカエルは、その宝石が、一対の瞳であることに気がつく。
宝石のような美しい瞳。見つめていると吸い込まれてしまうような。
瞳は記憶の中で、カエルのことをじっと見つめていた。瞬きもせずに。
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