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【かごしま選手名鑑】#004 大隅家守舎 代表 川畠 康文さん

(インタビュー・文:ふるかわりさ)

えん不動産、プラスディー設計室、大隅家守舎、ユクサおおすみ海の学校etc. の代表取締役。さらにはデザインマーケット、BARAIROフェスティバルかのや、ぶらり京町横丁、食と暮らしのマルクト@おおすみ・・・と、聞けば聞くほど何者なのかがよく分からなくなってくる「ばっさん」こと川畠康文(かわばた やすふみ)さんにインタビューしてみました。

建築会社を営んでいた父の存在

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うちの親父は、けっこう設計にこだわった建設会社を経営していて、作った住宅などの完成の挨拶などについていくと「川畠さんに頼んでよかった」というお客さんの声を聞いたりしてたんだよね。

そんな父の姿を見ながら(建築とか設計って)いい仕事だなと、幼少期から感覚的に刷り込まれていた部分と、自分自身が絵や図工などが好きだったってのもあって、いつの間にか親父の後を追いかける形で建築の世界に入ったのかな。

父は僕が高校3年の時に他界してしまったんだけど、今でも親父のことをめっちゃ尊敬してる。ちなみに僕は一人っ子。それで、いろんなことを人に頼むのが苦手なのかなぁ、、、。全部自分で抱え込んでしまう部分がある。

父の会社は畳んで、不動産部門だけ残してそれを母が社長として引き継いで(現在は会長)今もやってる。僕は大学行って29歳の時にその不動産会社の専務として鹿屋に帰ってきて、その事務所の机とかコピー機とかそのまま使わせてもらう形で設計事務所を立ち上げた。

設計事務所はね、まずホームページ作って。最初のお客さんがいきなり鉄筋コンクリートの住宅だったんだけど、それの完成見学会をやった時に200人くらい見学が来てくれてね。当時鹿児島では建築家の作った住宅のオープンハウスなんてまだまだなかったんだけど、これだけ興味を持ってきてくれる人がいるならやっていけるなって思ったね。そこから今に至るまで設計の仕事が途切れたことは一度もない。でも僕がいろいろいろんなことやっちゃってて、僕の計画待ちとか僕のチェック待ちとかで止まっちゃってる案件がめっちゃある。(笑)

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2018年に日本一海に近い小学校をリノベーションしてオープンした宿泊施設 ユクサおおすみ海の学校

その人の価値観に合った心地よい暮らしを実現させるのが設計士の仕事

住宅って、全く同じ条件ってないんだよね。例えばどこかにすごくいい住宅があったとして、それが気に入ったからといって そのままこちらの土地に建てたとしても心地よい住宅になるとは限らない。

リノベーションだと元の物件がどんなものだったかによって全然条件違ってくるし、新築だとしても土地だとか、どっち向きに道路と接しているかとか、周りにどんな建物があるかとか、そういう条件って一件一件全然違う。

結局そういう時に、お客さんと設計者(設計士じゃなくてもちゃんと家を作れる人)が一対一で一緒になって考えていかないとその人の価値観に合った住宅には仕上がらないのかなと思ってる。

まずやったのは、設計ではなく「現場監督」という仕事

建築の学校卒業して、設計事務所行く人って意外と少ないんだよね。ほんとにごくわずか。多くはハウスメーカー行ったり、建設会社行ったり、建材メーカー行ったり、公務員になったり、研究者になったりね。

大学時代に設計好きな仲間といろいろ知り合って、一緒に建築見に行ったり、研究室もそういうところに入ったりとかして「自分は建築の設計を目指そう」と思い始めた。大学入る時点ではそこまでは思ってなかったんだけどね。

そのころある人から「とにかく建築を分かっていない設計士が多すぎるから、お前は一度現場監督をやったほうがいいと思う」と言われて。それをけっこう間に受けて。確かに何も分かっていない自分の今の知識で、何千万円という建物の設計をやれと言われても怖いなと思ってね。それで大学出て4年間くらいは建設会社で現場監督をやったの。

建築関係の仕事していない人にはイメージしにくいかもしれないけど、設計士と現場監督の仕事って全然違っててね。どんなに小さい現場でも何百人っていう職人さんが動くんだけど、例えば「窓をつける」という作業一つとっても、木造だったらまず柱を立てて、そのあとサッシつけて、板貼って、シート貼って、ボード貼って、クロス貼って、、、と順番がある。どのタイミングでどの職人さんに来てもらって何の仕事をしてもらうかという段取りとか、建設会社に利益が残るように価格の交渉したりするのは現場監督の仕事。とにかく一日中いろんな相手と電話して調整をやってる感じ。かなりスキルのいる仕事。

設計士は、ゼロじゃないんだけど基本的には職人さんとの打ち合わせっていうのはないの。設計図を作る仕事と、あとは設計図通りに施行されているかをチェックするのが設計士で、逆に、設計図通りにちゃんと施工していくのが現場監督。

職人さんってさ、基本的には日雇いなので、その日現場に来たとしても、仕事ができなかったら給料0円なんだよね。現場監督がどれだけしっかり段取りできているかで職人さんたちの給料って変わっちゃうの。だから責任重大。

例えばさ、夜10時とかに現場の最終確認してて、明日クロス屋さんが入る予定の現場に石膏ボードが山積みになっててクロス張りの仕事の邪魔になるなって気付いたら、そこから一人で2時間とかかけてその石膏ボードを(職人さんの仕事の邪魔にならないところに)動かしたりしてた。そうじゃないと翌日職人さんが出勤してきた時に本気で怒られるんだよね。みなさん生活がかかってるから。僕がイベントの企画運営やれてるのは、絶対に現場監督やってたからだと思う。いろんな関係者と状況を見ながら連携取ったり、相手の仕事のことを考えて段取りしたりというスキルはあの時に身についた。

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鹿屋に帰ってきて初めて企画運営したイベント:デザインマーケット

あと、建築やってる人間って、何もない場所を見て「なんとなくこんな空間になるだろうな」って立体でイメージできるんだよね。そういう力は役に立っていると思う。

やれるつもりで始めたけどやってみたらなかなか難しかったユクサ

ユクサ3

ユクサおおすみ海の学校はね、正直なことを言うとねぇ、運営を始める前までは「どうにかなる」と思ってたんだけど、実際始まっていくと「あぁ、全然違うな」って気づいた(笑)。

作っていく過程では、場所を作っていくという建築の仕事としてやってんだけど、運営しはじめると客商売だったというか。まぁ雑貨屋さんの経営とかはしているけど、こいういう形の仕事、経営者としてホテルを運営していくという仕事はやっぱり全然違うスキルとジャンルだなというのは、やりはじめてから分かった感じ。

ユクサ6

これまで得意としていた ”場作り” という側面もいっぱいある。新しいカフェを作ったり、ツリーハウス作ったりとかね。そういう場所を作るということは得意だとは思ってるんだけど、その作った場所をどう運営してお金を生んでいくかというスキルは意外と苦手なんだなと思って運営してる(笑)。

ユクサって、めちゃくちゃポテンシャル高いんだよね。もっといろんな仕掛けができると思うし、もっといろんな発信ができると思うんだけど、それを現場にいるみんなでやっていくということにまだ難しさを感じてるね。いいスタッフが揃ってて、みんな頑張ってくれてるんだけど、個々の能力やチーム力を引き出し切れていないのが悔しい。本当に今いい人たちばかり、いい仲間に恵まれてるなって思ってるんだけど。

頼まれごとに、自分ができることで応えていたらこうなった

基本的には頼まれごとの積み重ねでここまできちゃったってのがある。意外と自分から「これやりたい」ってやったのはそんなに多くない。自分がそれをやった場合と、やらなかった場合、どっちが楽しいかどっちが幸せかなって感じで「どう考えたってやったほうがいいよね」って、あんまり後先考えずにやりはじめてみたら思いのほか大変だったというか(笑)。

ある程度まではね、自分は器用だと思ってるんだよ。普通の人よりは。ある程度まではいろんなことができるんだけど、最近それが度を超えてきた感じはある。キャパオーバーだなと。でも、やってきたこと一つ一つはちゃんとリンクしてると思うよ

デザインマーケット3

鹿屋に帰ってきて最初にやったのはデザインマーケットというイベント。当時鹿屋にはまだまだデザインにお金を出して買うという文化が根付いてなかったの。

設計事務所とかデザイナーさんとかがちゃんと育つようにしたくて。デザイナーさんたちの紹介を展示するために、でもそれだけでは人が来ないと思ってたので、雑貨屋さんを集めてマーケットをやったら人が来てくれるんじゃないかなって安易な考えでやってみたんだけど、けっこういろんな人と出会えて。結果3回くらいやったかな。そこで出会った仲間たちとフリーペーパー作ったり、ディアソウルフェスという音楽フェスを企画したりした。

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ディアソウルフェスも3回くらいやったかな。この時は僕は完全に裏の実行委員長。まさに現場監督みたいな仕事を担当した。けっこう大物のアーティストとかも呼んでやったよ。めっちゃ楽しかった。

バライロフェス1
バライロフェス5

デザインマーケットとディアソウルフェスはほとんど同じ仲間でやってたんだけど、その人たちが「このデザインマーケットというイベントを街中の空き店舗でやったら面白いよね」って言ってやってみたのがBARAIROフェスティバルというイベントで、2011年から2015年までの5回やったのかな。 こういうことをずっと最初から一緒にやってるのがKiitosの大山くん。

このBARAIROフェスは2万人くらい人が来てくれてね、反応がとにかくすごくて。マスコミもそうだし、商店街の人たちからも感謝されて。それまではけっこう民間だけでやってたんだけど、このイベントを機に行政からも信頼されて「街のにぎわい作り協議会」の副会長も務めることになって。そこから街づくりのことを本格的にやり始めた。

京町1

1日限りの屋台村イベント「ぶらり京町横丁」

鹿屋に街づくりのことを分かっている人がいない

はたと気がついたのが「鹿屋に街づくりのことを本気で勉強した人がいない」ってこと。視察に行ったりして分かったつもりになっている人はいたけど。街づくりって建築学科の分野でもあるし、まずは自分自身が本気で学ぶ必要性を感じたのね。

リノスク3 (1)

それで北九州でやっていたリノベーションスクールに参加して、その後自分がホスト役になって鹿屋でリノベーションスクールを開催した。けっこういろんな人が参加してくれてね。鹿屋というより鹿児島全体にある程度の波及効果があったんじゃないかなと思う。ここが起点になっていろんな化学反応が起こったよ。

これがきっかけとなって作った街づくりの会社が「大隅家守舎」。

大隅家守舎

この4人で作った会社ね。この会社で最初にやったイベントがマルクトおおすみ

これまでやっていた1年に一回のフェスじゃなくて、毎月やるようにしようと。BARAIROフェスティバルはめちゃくちゃいろんな人が繋がったりして効果は大きかったんだけど、空き店舗が埋まったりとか、そういう街中に対しての波及効果という面では大きくなかった

そういうこともあって、盛大なイベントじゃなくて、もっと日常に近いイベントを作ろうということで始めた。

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マルクトは、2015年の9月から毎月続けてる。マルクトに出店して独立していったお店とかもあるし、いろんな人のチャレンジの場になっていると思う。こうやって毎月一回やってると参加者の皆さんも友達とかと会えたりするし。そういうの見てると楽しいよね。どんなこともさ、準備とか大変だけど、やった当日みんな幸せそうにしてる姿を見ると病みつきになっちゃうというか。

飲食店などの出店者にとってもチャレンジの場であり、いい宣伝の場にもなっていると思う。ここに来てくれるお客さんは、出店者との会話を楽しむお客さんが多いので、リピーターになったり、実店舗に来てくれたりと次につながることが多いと思う。

ここからまた、もう一度 本業の家づくりに繋げていきたいと思うね。心地よい暮らしをコンセプトにしたEN HOUSEみたいな高機能でエコな小さな平家作ったりとか。これは、菜園がセットになっている住宅なんだけど、そこで作られた野菜をマルクトで売れるようにするとかね。

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あと、最近すごく、こういうのは自分の仕事だなと思うのは、「まず何を作るか、どういう場所であるべきか」という企画段階から考えていくような案件の相談が増えていて。そういうのはいろいろやってきたからこその仕事だよね。

イベントを企画して運営していくために必要なのは

イベントを企画して運営していくために必要なのは「忍耐力」!笑
あとは自分がお客さんだったらこのイベント楽しいかな?という視点かな。

今さ、やってるメンバーがみんな同世代なんだよね。35歳以上。だから若い人たちとか、子どもとか高校生とかと一緒に楽しい未来を作っていきたいと思う。この記事きっかけで何か新しい出会いがあったりすると面白いね。

あとね、ユクサのある菅原地域づくり協議会の話なんだけど、近くの耕作放棄地をね、体験農場にしちゃってそこを起点に地域の人たちとつながるようなツアーを企画したり、近所の人たちの困りごとをお手伝いに行ったりするような仕組みを作ったりするプロジェクトも始まる。

全国から地方創生とかいろんな体験に興味のある若い人たちがユクサに集まって、ここのファンが増えていくみたいなことが実現できたら面白いかな。関係人口というか、いろんな人の関わり代を作っていけるとユクサっぽいかなと思う

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