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LifeWear magazine 解読 03

はーい、みなさん、お元気でしょうか?

前回から少し時間が経ってしまいました。もうお忘れかと思いますが、あまり気にせずいきますよ!LifeWear magazine 解読 第3回です。

そして今回はJil Sanderさんの第2回目でもあります。

■前回の復習

そこで簡単に第1回の復習をしておきましょう。

Jilさんは、ドイツ・ハンブルクで生まれ育ち、その幼少時、すべてのものが透けて見えそうなほどクリアな「ハンブルクの光」の中で育つことで、その後の「ごまかしを許さない」デザインセンスの素を培ってきたのではないか。

その後繊維産業で知られるクレーフェルトに移り、クレーフェルト繊維専門学校に進学した。

この学校はあのバウハウス---「大量生産と個人の芸術的見地の統一」「美学と日常生活の融合」をその理念としており、戦後のモダンデザインの確立に大きな影響をもっていた---で教えていた人やその生徒たちが多く教鞭《きょうべん》をとっており、バウハウス的なアプローチで生徒に対していた。

この学校でJilさんは、「フォルムから無駄をなくし、研ぎ澄まされたピュアな形を追求したい」という自分の直感がバウハウスによって裏付けられた、と語っている。

ここまでが前回「Jil Sander 01」でした。


さあ、では続きとまいります。


■クレーフェルト後

クレーフェルト在学中にJilさんは交換留学生としてカリフォルニア大学(the University of California, Los Angeles UCLA)に留学します。その後ニューヨークに移り、ファッション雑誌のライターを経験します。

ですが21歳のとき、故郷のお父さんが急死(52歳)され、ハンブルクに戻り、お兄さん弟さんと合流します。

その時のことをJilさんはこう振り返っています。

「最初は、ドイツのファッション誌でファッションエディターとして働いていました。写真撮影を手配し監督する役割だったのですが、撮影をするなかで、思い通りにいかないことがよくありました。撮影対象となる服のデザインをより良いものにするために、私は服のメーカーに連絡を取って、デザインに関する提案をするようになりました。それを続けていたら、ハイテク生地の最大手メーカーから、服をデザインしてほしいという依頼を受けたのです。最終的に、自分の好みに必ずしも合うわけではない既存のファッションを撮影するより、実際に服を作る方が深い満足感をもたらしてくれることに気づきました」

(『LifeWear magazine』 p.49,Q5 およびWeb上の記事(https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/lifewear-magazine/jil-sander/)のQ8より)

こうして彼女は自身がデザインするようになります。

彼女はファッション業界では最初は雑誌のライターだったり、エディターだったり、どちらかというと裏方の仕事からそのキャリアをスタートしました。

ですが熱心にアイデアを発信することで、それを認められていったようです。そしてデザインの仕事をすることで深い満足を覚えます。こうして彼女は自分が何者であるのかということに気づいていきます。

ここに出てくる「ハイテク生地の最大手メーカー」というのは、フランクフルト郊外ヘキスト(Hochst)にある、「Hochst」という化学会社でしょう。

Hochstは後に他社と合併し、生命科学やさらにその後は製薬に携わる会社へと変貌していくのですが、この頃は「トレヴィラCS(Comfort Safety)」という難燃性ポリエステル繊維を作っていました。

このトレヴィラを使った生地は、吸湿性が少ないので洗ってもすぐに乾き、型くずれしにくい、という性質をもっていました。下着には不向きですが、きっちりしたジャケットなどの素材としてJilさんは注目したのかもしれません。

そして1968年、ドイツ・ハンブルクのほぼ中央に位置するローターバウム(Rotherbaum)で、お母さんのミシンとともに、ファッション・ハウス「Jil Sander」を開業します。

彼女の最初のコレクションはHoechstのためのものでした。

■ファッション・デザイナーとして

ファッション・ハウス「Jil Sander」では、当初はティエリー・ミュグレーや、ソニア・リキエルの服を中心に販売し、それらに加え、わずかながら自身のデザインした服を売っていたということです。

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1973年にパリ・コレクションに出るも評判が芳《かんば》しくなく、80年に撤退します。
1970年代、80年代のJilさんは決して順調ではなかったようです。

というのも、当時はクロード・モンタナに代表されるような「気前が良く、カラフルで派手」な服がファッションの主流でした。Jilさんのデザインの特徴である、洗練されて繊細、かつ品質にこだわったミニマルなデザインが、本当の意味で認められるのは90年代、時代の流れが変わるのを待たなくてはいけませんでした。

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この時代を「Jil Sander」のブランドが乗り越えることができたのは、香水の売上が順調だったからだと言われています。

後にヨーロッパ最大のコスメストアチェーン店となるダグラス社(Parfümerie Douglas)がJilさんのいるハンブルクに6店舗の香水店を拡大し、後の飛躍の礎を築いたのが1969年のことです。

現在ではダグラス社のホームページ(https://www.douglas.nl/Jil-Sander/index_b0105.html)でJil Sanderという香水シリーズを見ることができるほどに仲の良い2社ですから、Jilさんの雌伏《しふく》の時を支えたのはダグラス社だったかもしれませんね。

そしてJil さんが大活躍するときがやってきます。

85年にミラノ(Milano、イタリア北部の都市)を拠点として再出発したJilさんは、87年のミラノ・コレクションに作品を発表し脚光を浴び、ついにトップブランドの座についたのです。

1987年、ミラノ・コレクション、ジル・サンダー

89年にはドイツ・フランクフルト(Frankfurt、国際金融の中心地)で株式上場を果たし、大規模な事業拡大ができるようになりました。

97年からはメンズラインを開始。98年にはプーマ(Puma、ドイツ・バイエルン州(Bayern、ドイツ南部)を本拠地とする多国籍企業。スポーツ用品の製造・販売を行う。創業したのは、日本でも有名なアディダス(Adidas)創業者のお兄さん)とのコラボレーションでレザースニーカーを発表しています。


■Jilさんのファッションの特徴

こうして多くの人に認められていったJilさんのファッションですが、どんな特徴があるのでしょうか?
Jilさん本人がご自身のデザインについて述べています。

Q.あなたにとって洋服の黒色はどんな意味をもちますか?

A.北ドイツの光についてお話ししましたが、黒い生地として扱われているもののほとんどが、その光の下では黒として通用しません。だからこそ、私は自分が求める黒を「ダブル・ブラック」と呼んでいます。白と並べたときに見劣りせず、力強いコントラストを成すことができる黒です。

(『LifeWear magazine』 p.50,Q6 およびWeb上の記事(https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/lifewear-magazine/jil-sander/)のQ10より)

ここでJilさんが述べている「ダブル・ブラック」というのが、どんな黒なのか、どうやってそんな黒に染めているのか、知りたかったのですが、わかりませんでした。

もし知ってる方がおられましたら、ぜひ教えてください。

Q.あなたがデザインする洋服はカッティングやフィットなど細部までこだわりが行きわたっています。デザインをするうえでマイルールはありますか?

A.私はドローイングをせず、身体の上でデザインして何度もフィッティングを繰り返します。そのためすべてのアングルに気を配り、立体的なフォルムを常に意識しています。フィッティングを繰り返すことで、新しいフォルムとプロポーションができていきます。私にとって最強のツールは、自分の目です。はずれているもの、古臭いものを見分けることができます。さらに、どこからエネルギーが入ってくるのかも、デザインの新鮮さが立ち上がり始める瞬間も見極めることができます。同時に、お客様が持つさまざまなニーズも常に心に留めています。お客様の身体の形、背の高さ、体型は多種多様です。だから私は、さまざまに組み合わせることができて、できるだけ多くのニーズに対応できるようにコレクションを作ることを心がけています。

(『LifeWear magazine』 p.50,Q7 およびWeb上の記事(https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/lifewear-magazine/jil-sander/)のQ11より。)

Jilさんがデザインすることを語るとき、それが具体的であることに驚きます。抽象的な観念などは語られません。エネルギーがどこから入ってくるのか、いつどのように新しさが立ち上がるのか、それを見極めることができるという語り方は、とても強烈で、こういうとJilさんはきっと嫌うでしょうが、まるで古代の占い師かシャーマン(shaman)のようです。

きっとJilさんのデザインした服は、縄文式土器のような力強さで、他の物をよせつけず、ひとり屹立《きつりつ》しているのだろうと想像できます。

おっと。もうわたしは力尽きようとしています。
今回はここまで。

Jilさんの回、まだ続きます!

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