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インクルーシブなギフテッド教育。

ギフテッド教育って本当にインクルーシブになりえるの?とコネチカット教育大学院で学ぶ前までは思っていました。ギフテッド教育といったら、どちらかといったらセレクティブなものではないかと思っていたからです。

実際に息子が受けられそうな&受けてきたアメリカのギフテッド教育は、ジョンズホプキンスのCTYも含め、セレクティブでした。単純に選考なり選抜試験があるからですが、あぁ、ギフテッド教育ってやっぱり結構セレクティブなんだな、なかなか厳しいな、と壁を感じつつ、全米各地のギフテッド教育プログラムを手あたり次第チェックしていた日々を思い出します。2014年〜2019年の話です。すでに過去になっています。

(CTYに関しては、日本での日本語でのプログラムが23年夏から本格的に始まるそうで楽しみですね。息子は結局オンラインコースしか受けませんでしたが、サマーキャンプがとにかく素晴らしい!とママ友さん方から聞いています。CTYのペアレンツ・グループなどでも絶賛以外の声を聞いたことがありません。奨学金もありがたいですね。)

CTYなど大学主催のギフテッドプログラムにしても、各地域のギフテッドプログラムやギフテッドスクールにしても、それぞれが定めた基準を満たして初めて教育サービスが受けられるわけですが、その恩恵を受けられる層が非常に限定的であると声を上げ続けた一人が下の記事でもちらっと紹介されているレンズーリ先生でした。

イギリスのギフテッド教育事情をまったく知りませんが、こちらに書かれている内容は基本レンズーリ先生ほか研究室の教授の方々のお考えとほぼ同じです。

「能力の高い子も含め、皆の才能を伸ばそう」「圧倒的に見落とされている貧困層やマイノリティ(主に黒人とヒスパニック)のなかのポテンシャルが高い子達にも才能を伸ばす平等な教育機会が与えられなければ」「(日本の幼稚園お受験的な)選抜方式のギフテッドプログラムでは富裕層や教育意識が高い層(主に白人とアジア系)に機会が偏る。より多くの生徒が恩恵を受けられるインクルーシブなギフテッド教育を目指そう」

この流れが今日のアメリカのギフテッド教育界でもメジャーであることを私はまったく知りませんでした。2017年に大学院に進学して初めて知りました。

インクルーシブだからといって皆が同じスピードで同じ内容のものを学ぶわけではありません。ここは非常に大事な点です。

SEMでも、やはりどうしてもセレクティブにならざるをえない部分はあります。例えば Type 1エンリッチメント、Type 2エンリッチメントはすべての生徒が受けられますが、Type 3エンリッチメントは非常に高度な拡充なため、選考審査はどうしても必要です。ただ、「選考に迷ったら(プログラムに)入れる」「自己推薦も大いに可」「現時点では能力的に若干厳しくても、本人に強いタスクコミットメントが認められるなら入れる」など、一般的なギフテッドプログラムの選考基準よりは間口が広く、20~25%の生徒が受けられます。「more inclusive」なギフテッド教育と言えます。

又、SEMが拡充フォーカスだからか、エンリッチメント・探究学習をひたすら行うような教育と思われがちですが、SEMでは生徒個人のニーズに合わせ、早修と組み合わせながら拡充を行います。単純に「探究学習プログラム」というわけではないのです。ここでの早修のなかにはカリキュラム短縮、必要あらば科目別飛び級・学年飛び級などが含まれます。どこをどうインクルーシブにするか、拡充と早修をどう組み合わせていくかは、SEMを部分的にでも取り入れている学校や教育サービスによってさまざまです。柔軟にして学校の個性を出していけるのもSEMの魅力です。

SEMのようなインクルーシブなギフテッド教育は、ときに「足並み揃える教育」だとアメリカでも思われてしまうことが多々あります。インクルーシブというと、「同じ空間で同じことを」といった一律的な発想になりやすいようなのです。従来のセレクティブなギフテッド教育からインクルーシブなギフテッド教育に変換する方針が市なり州から打ち出されると、「能力が高い子を阻止する(=hold back)なんて!」という声がわわっと上がります。

能力が高い子を阻止しようなどとはレンズーリ先生方もまったく思われていません。そうではなくて、一般教育をインクルーシブなギフテッド教育・才能教育にして、(ギフテッド教育も才能教育も英語では gifted education だが、才能教育だと talent development の要素が強いように感じる)、皆がそれぞれ伸びる基盤を確保し、その上で個々のニーズに応えていこう(例えば早修が必要なら早修)、それを公教育が担うべきだ、とレンズーリ先生は力説されてきました。

公教育で行うと、能力が高いかもしれないのに性差や人種、貧困などで完全にスルーされている子達もすくい上げることが可能になります。ギフテッド教育で研究開発されてきた才能伸長のノウハウは、一般のクラスルームでもとくに難なく取り入れられます。それでもニーズが満たされない生徒には、早修などと組み合わせて個性化(differentiation)をはかります。ギフテッド教育ではいかに個性化を行うかがキーであり、大学院でも「Differentiation! Differentiation! 」と叫ばれていました。

インクルーシブなギフテッド教育は、日本がこれから目指そうとしている「個別最適」と通じるものがあると思います。(内閣府のWGで出されたp24のイメージです。)

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/7kai/siryo1-2.pdf

もちろんインクルーシブなギフテッド教育にも課題があります。日本の場合、個人的に一番難しいと思うのはクラスの人数です。20人以下のクラスであれば個別最適な学び環境は実現されやすいですが、40人だと大胆な工夫が必要でしょう。どういった工夫が実現可能なのか私にはわかりません、、、が、「ひとクラス25人じゃ多過ぎますよね?」「ちょっと多いわね」というギフテッド教育専門教師であるUConn同級生と教授のやりとりが強く思い出されます。

25人でも多いのか、、(まあそうだよね、、)

又、大学初等レベルのAPコースでも物足りない生徒たちのために、学校に在籍しつつも地域の大学もしくはオンラインなどで大学初等レベル以上のコースが履修でき、できれば単位も取れるデュアル・エンロールメントがあれば、本当に誰もが取り残されない学び環境になるんではないかなと思いました。

早修と拡充であれば、早修のほうが取り入れるのも圧倒的に容易で、教師にギフテッド教育の専門スキルも要りません。アメリカでも、ギフテッドプログラムや予算、リソースがない僻地の学校などでギフテッド・プログラミングがどうしても必要な場合、拡充ではなく早修を進めています。ただ、早修というよりは拡充のほうが断然合う息子のような生徒もいますから、拡充も外してほしくないなぁと(これは親目線でも)思っています。



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