見出し画像

人生や物事を刹那的に評価する癖に気づくと、グッと生きやすくなるかもしれない話

おまっとさんです、私です。

「これは誰も教えてくれなかったので書いておいたほうがいい、むしろ書いてくれれば見直せるので私が助かる!」シリーズ第二弾ということで、やや強いタイトルなんですが粛々と筆をとっていきたいと思いますね、スマホだけど。

※注:前作に引き続き、仕事がバリバリできるみたいな人は無意識でやっていることなので読まなくてもOKです。なんだかうまくいかない、というモヤっとさん向きの記事です。また、「かもしれない」というタイトル通り、特になんらかのエビデンスがある話ではないので取り扱い注意です。

10年会社経営してわかったことは、人間には2種類の人間がいるということなんです。そうです、ポジティブ思考な人とネガティブ思考の人(※1)です。前者の人は比較的ほっておいてもどうにかなるので基本スタンスとしてはほっときますが、後者の人の場合、そういうわけにはいかないケースがありますよね。

(※1)話を簡略化するために2種類にしましたが、本当はもう1種類います。鈍感な人です。鈍感な人についてはまたいつか。

そんな中でネガティブ思考の人にはさまざまな思考の癖があると感じるのですが、たった一つだけ共通点があるなぁと思うのです。

それは、「人生や物事を刹那的に勝手に自己評価して勝手に疲弊してしまっている」という共通点です。

いろいろ端折りますが、今起きている最悪の事象、それはとても切ないことかもしれないですし、とても辛いことかもしれない。もしかしたら立ち直ることは難しいと感じるのかもしれません。きっと後悔してますよね。でもね、そんなに落ち込むことはないんですよ、実は。

思い返してみましょう。過去にもそういうことってありませんでしたか?大好きな恋人にふられた時や、お気に入りのアイテムを紛失した時など、その瞬間を切り取ると絶望的な感情に襲われた経験は少なからずあるのでは?

そして是非感じてほしいのですが、その時の事象を今どういう感情で見つめてますか?

多分きっと、いや絶対、いやいや恐らく、むしろそれがあるから今のあなたがあるのだと感じませんか?大好きな恋人にふられたからこそ、今隣に素敵なパートナーがいたり、前の会社でうまく行かなかった経験が、今のポジションであなたを奮い立たせてはいませんか?

全部繋がってるんですよ。Connecting The Dotsとはよく言ったもので、今起きている物事を点として刹那的に自己評価してしまうと最悪な事象も、線として長い目で見た時には異なる評価になり得るのを知っておいてほしいのです。

であるとするならば、そういった事象に遭遇したとしても、反省しても後悔するな、反省しても過剰に落ち込むことに意味はない、ということですかね。人生は続くので、なるべく早めに前を向こう。感情に襲われているのであれば、感情に支配されぬよう、仕組みを知ろう。

参考:感情と論理の関係を理解するとグッと生きやすくなるかもしれないという話

多分、現代社会のバグの一つなのかもしれませんが、原則として学校や会社、組織はどこかで期限を定め、その瞬間を刹那的に切り取って評価をする仕組みを導入してます。現代を生きる上ではこれらの仕組みはどうしても避けられないので、特定のコミュニティに参加、所属を希望するのであれば、そのコミュニティのルールを厳守しなければ参加し続ける、居続けることはできません。

目標達成の為に我武者羅に頑張ることは尊いけれど、ただ、それを自身の人生と同列で考えて人生や物事を刹那的に評価すると不幸になるで、という話でした。

おまけ:他人と比較しない

更に付け加えると、他人と比較しないことも重要です。同期や同い年と比較してしまう気持ちもわからないわけではありません。それは上で上げた現代の社会の仕組みが作り出した弊害でもあるかもしれません。

ホーキング氏は、貧富の差を強調しているもう一つの要因は、インターネットだとの考えを示し、「私にとって交流のための技術を使用する可能性は正真正銘の解放となり、私はこれなしに自分の仕事を終えることは決してできないだろう。しかしこれはまた電話を持っている全ての人にとって、最も貧しい人々にとってさえも、最も裕福で、最も成功している人たちの生活を観察することを可能とする」と注目した。ホーキング氏によると、まさにSNS「インスタグラム」などで目にするそのような美しい生活風景が、人々をよりよい生活の夢の虜にさせているという。参考:スティーヴン・ホーキング氏:地球にとって最も危険な時期が来た

ホーキング博士がいうように、SNSなどの発達により他人の生活を覗くことが容易に出来るようになりました。その結果、より他人と自身を比較しやすくなってきているのかもしれません。しかしねぇ、経験上、他人との比較はよい感情であることはほとんどありません。

あいつよりも結果を出したい!という感情が自身を奮い立たせることは大いにあるし、比較は必ずしも悪いわけじゃありませんが、生まれも育ちの環境も、教育さえも異なる人と比較してもあまりよい感情は生まれませんよね。スタートラインが異なるのだから当然です。こういう感情は人生や物事を刹那的に評価してしまっているにすぎません。あまり意味がないんですよ。

宝くじが当たった人が不幸になりやすいエピソードよろしく、20代で成功した起業家が長期的に幸福度の高い生活を送っているかというと疑わしいですし、20代で世界中から脚光を浴びたデザイナーが今何をしているのか?は僕は知りません。また、今脚光を浴びている起業家たちがこの先どうなっていくのかなんて、だれにもわからないじゃないですか?

人生はマラソンだ!なんて誰が言ったのかわからないけれど、ある程度の長距離走なのは間違いありません。それを、1/4や1/2程度で評価してもあまり意味はないですよね。

まとめ

というわけで、僕が言いたいのは、人生や物事を刹那的に評価すると不幸になるし、他人と比較するのはできるだけやめておいた方が幸福度高く生きられるのではないかな?ということでした。僕はこれが出来るようになってから、日々においてやるべき事、大変なことは多いし、たまにはおちこんだりもするけれど、私はげんきで、毎日楽しいです。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?