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感情と論理の関係を理解するとグッと生きやすくなるかもしれないという話

最近よく1on1で議論をしている。社内でも社外でもそれっぽいことが非常に多いのだけど、議論することで自身の頭の中身も整理され、アイデアが法則性を持った形で具現化する瞬間が何物にも代えがたい感覚があり、気に入っている。

その中で何人かが事象は異なるけど"考え方の問題"で物事がうまく進んでいない、ということがあった。性格も所属組織も社会人経験も全く交じり合わない人たちが同じ"考え方の問題"でつまずいているのだ。

「これは誰も教えてくれなかったので書いておいたほうがいい、むしろ書いてくれれば見直せるので私が助かる!」と、なぜか背中を押されたので久々に筆をとることにした。キーボードだけど。

※注:仕事がバリバリできるみたいな人は無意識でやっていることなので読まなくてもOKです。なんだかうまくいかない、というモヤっとさん向きの記事です。また、「かもしれない」というタイトル通り、特になんらかのエビデンスがある話ではないので取り扱い注意です。

働くという事は、何かしらの達成しなければいけない目標があるものです。売上、何かしらの獲得・アウトプットなど、それはさまざまですよね。そしてそれは日を追うごとに大きくなるでしょう。昨日より今日、今日より明日ですし、常にそうあるべきです。

そして、ちょっと身の丈に合わないような目標を自ら課したり、唐突にお上や上司、はたまたクライアントから落ちてくることもあるかもしれません。「そんなの絶対無理だよ!」「そもそも達成できるわけない!」そんな風に思う人もいると思うんですよ。そんな時は「感情」が動いた証拠です。言い方を変えれば、「感情」が「論理」を上回ってしまった、と言い換えられるかもしれません。この場合の感情は「負」ですね。

こういった感情が論理を上回っている状態だと、どれだけ考えようとしても恐怖や怒りといった負の感情に侵されている状態なので、論理的に考えることはほとんど無理です。僕はこれを「思考停止」と呼んでます。

「 思考停止 ⇔ 感情 > 論理 」

僕が何を言いたいのかというと、感情というのは刹那的に論理を支配してしまうので、その事実に気づくことはほとんどなく、ムキー!となってしまうのですが、そういう時こそ上の構図を思い出して、「あ、今感情に支配されているな…」などと客観的に自分を眺めるように癖をつけることで、実はこの感情に支配されてしまう事態は回避できるのだと知ってほしいんですよね。感情に支配された状態で出された結論は大抵の場合よくない結果を引き起こします。

少し冷たい言い方しますけど、感情に支配されるのは時間の無駄です。「一旦冷静になろう!」とよくいうではないですか。あれです。まさに。

話を戻します。少し無茶な難題や、突然降ってくる大きすぎたり制限時間が限られているような問題が降ってきたら感情に支配されやすいので気を付けなければいけないのですが、そういう時こそ一旦感情を消して、どうやったらその難題が解決&達成できるのかを冷静に論理的に考えるべきなのです。その上で、絶対に無理な問題なのであれば、ムキー!って感情を爆発させればいいではないですか。いつだって論理は感情より先に来なければいけません。

感情に支配されてしまう人というのは人生において物凄く損をしてます。知らず知らずのうちに議論ができない人というレッテルを張られ、次回からは選択肢から外されてます。何より恐ろしいのは、本人は気づかぬうちにそうなってしまっている、という部分でしょうか。世の中は自己評価ではなく、他者評価で格付けされているという事実から目を背けてはいけません。

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ちなみに、負の側面だけではなく、嬉しいほうでも感情が動くことがありますよね。これも基本的に同じ構図です。喜ばせたければ論理で考えられないくらいに感情を刺激すればいいのです。

「 感激 ⇔ 感情 > 論理」

サプライズなプレゼント、なんかは感情が動きやすいよね。ただし、前から欲しかったもの、はあまりよくないです。それは値段が想像できるから。

これと同じくプライシングなんかも同じ理屈が通じるんじゃないかと思います。4個で400円の団子より、少し大きめにした3個で500円の団子の方が売れやすいはずです(現在実験中)。簡単に割り切れない数字にするのは大事です。美味しそう!という感情を論理に追い抜かせないためですね。これも論理と感情の関係ですね。

ちなみに、どうでもいい話ですが僕はビジネスでは論理より感情が先に動く人は苦手ですが、そうじゃない場では感情が爆発している人が好きですね、ええ。

おしまい。

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