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韓国留学で学んだこと

地味だった韓国

韓流ブームの風が吹き止まず
若い世代にとっても
音楽、映画、メイク、髪型など
韓国という国はイケてるアジアの
象徴であるが
私が留学をしていた1990年代の
韓国ソウルは
東京と比較しても
だいぶ地味な印象の都市だった。

高校の修学旅行が韓国だったことが
きっかけで
政治関係の学科に進みたかったものの
そちらは全て不合格だったため
渋々進んだのが韓国語学科
日本の大学に属しながらも
春休みや夏休みの長期休みになると
家庭教師のバイトで貯めたお金で
韓国の短期留学を繰り返していた。

大学を卒業する時期
就職氷河期だったのもあったが
もう少し勉強をして社会に出たいと思い
大学院留学を目指して
ソウルの中央大学という
広告学で有名な教授のいた
とっても人気のある学科に
外国人は無試験!という特権を活かし
入学を勝ち取った。

元々学びたかった広告の勉強は
基礎知識の不足もあり
だいぶ苦戦

教材がほぼ英語だったので
英語を韓国語に翻訳し
それをパワーポイントにして発表する
逆立ちしてラーメンを食べよと
言われているような授業で
毎日泣きながら
ため息をついて暮らしていた。

寝れない、食べられない
最後は身体をを壊して
帰国するという
最悪の結末を迎えてしまった。

もったいなかったね

帰国後、大学院中退を
「もったいなかったね」
と、言われることがあるが
私には全てが限界だったし
自分の海外での限界を見たことが

日本にいる以上、どんな仕事でもできる
日本語の発表なら何だろうができる
そんな自信を与えてくれた

どん底の体験は私を非常に強くした

そしてこれから海外に
羽ばたいて行きたい若者達にも
どんな形であっても
海外で孤独になることは
あなた自身を見つめ
あなたを強く、そして
謙虚にしてくれると勧めたい。

そうか、その手があったか


また、大人になって海外に行くなら
自腹の留学や研修でなく
就職してから
会社のお金で行かせてもらえる
そのルートを探すのがいい

大学の先輩や同期が就職して
韓国に海外出張や
海外赴任をする姿を見て
「そうか、その手があったのか」
と今更ながら羨ましく思う。

コスパ最悪な大成功

とはいえ、私の人生には
現在の大切な家族がいて
万一韓国にずっといたら
きっとこの子供達とは
会えなかったことを思うと
帰国して大成功だと思う。

韓国のドラマや映画を原語で見ると
言葉のインパクトや迫力が半端ない
それを感じられるというだけで
韓国語をマスターした
甲斐があるな、とも思う。
コスパは最悪だけども。

いらない日本語講座

何より、ルームメイトだった
2歳上の韓国人の姐御との
一生大切にできる友情の絆は
留学時代の宝物だ。

日本語を習っていた姐御が
日本語のピロートーク?を
教えろとせがみ
私は学校がしんどくて
それどころじゃないのに
渋々教えてた頃が懐かしい。

「先にシャワー浴びて」
これを日本語で教えたら
姐御が色めきたった顔で私に
「先にサワー浴びて」と
腰をくねらせてきた。

腹が捩れるほど笑うというのは
このことかと実体験した。

今の私の韓国語力


若かった、苦しかった
でも楽しかった韓国留学
孤独だったからこそ
日本語をほぼ使わずに過ごし
1年で韓国語脳は完成した様子。
相手が韓国語でくれば
今も韓国語で返せる(はず)。

ちなみにsemoとは韓国語で
「三角」という意味。
人生三角なことも多いけれど
三角が集まってる人生で
最後丸を作ろうと思う!

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