ミョンフンのオテロ

オテロ 演奏会形式上演
C.ミョンフン(dir)東京フィルハーモニー管弦楽団
G.クンデ、小林厚子、D.イェニス
20230731@サントリーホール

幾多の歴史的名盤を超える名演でありトスカニーニの神格的演奏に迫る演奏だ。これほどのオテロを日本で生で聴けたことが信じ難い。

ミョンフンのオペラ職人としての練達ぶりは今更言うまでも無いが、管弦楽がこれほど雄弁な作品だとその腕が最大限に発揮される。歌手以上にオーケストラが歌いそして演じる。日本のオーケストラからこれほどのオペラ表現を聴いたのは初めての経験。1幕の愛の二重唱がこれほど哀切に満ちた感動的な音楽であり、且つ悲劇の終幕を予感させる音楽であることを初めて実感した。歌手の声を管弦楽が制圧してしまうシーンもあったが、歌手を活かして伴奏に徹する場面と音楽全体を咆哮させる場面を明確に鳴り分けているのが、その指揮ぶりからも明らかだ。オケに任せきっている場面も見受けられ、ミョンフンが東フィルのオペラ演奏能力を信頼していることが伺われる。事実それに違わぬ演奏を東フィルは聴かせた。

オテロ役のクンデは硬い「あたり」を造って響きを会場に飛ばすという、往年のデル・モナコやコレッリを彷彿とさせるやや古めかしい発声法の人だ。こういう歌手は生で聴いたのは初めてだが、年齢的には極めて不利なメソードであることに相違あるまい。だがその声の衰えを逆手に取った老いの悲嘆・凋落した英雄の悲哀は感動的で、L.ヴィナイとJ.ヴィッカーズに匹敵する。それに対するイェニスのヤーゴ役は若々しい精気と才気に満ちセクシーさすら感じさせる。この両者の若さと老い・光と影の対比は作曲者が望んだ姿そのものだろう。トスカニーニ盤のヴィナイとヴァルデンゴを思い起こす。

だが歌手で最も語るべき人はデズデモナ役の小林厚子だ。スピントよりも空間に溶け入るピアニシモで聞かせる人のようで、1幕の二重唱と終幕のアリアはまったく理想的。それでいて2幕・3幕での劇的な展開でも強靭なクンデとイェニスに負けない力を聴かせていた。この歌唱はこれまでに聴いた最も理想的なデズデモナと言って良い。テバルディでもスコットでも100%満足することの無かったこの役に日本人歌手が最適解を与えてくれるとは!

ここ10年来の日本の音楽家の演奏水準には感嘆させられてきたが、この公演で私の中で一つの里程標が達成された感がある。世界レベルの音楽を日常的に聴くことができる時代が来たのだ。我が国の音楽家たちの弛まぬ努力と研鑽に心からの敬意と感謝を捧げたい。

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