奈良岡朋子を讃えて - Love Letters 2022年2月7日渋谷パルコ劇場公演

私が大阪から胸ときめかせて上京し、浴びるように舞台を見た1990年代。
杉村春子・滝沢修・六代目中村歌右衛門らが最晩年の踏ん張りを見せつつ、舞台では次世代の主軸たちが既に縦横無尽の活躍を見せていた。
平幹二朗・三田和代・佐藤オリエらが絶頂期の至芸を披露し、毎週のように劇場に通っては食い入るように舞台を貪った我が青春時代。

かたや文芸界全体にバブルの余韻がまだ残り、銀座セゾン劇場やパナソニック・グローブ座が毎月のように海外メジャー劇団を招聘していた。
眼前で展開されるロベール・ルパージュ、ペーター・ストルマーレ、サム・メンデス、英国RSC、そしてデヴィッド・ルヴォーらの芸術は若き日の私を圧倒したのだ。

その煌々たる90年代演劇界の中でも、前記のいずれの面々とも異なる独自のスタイルの芝居を展開していた女優がいる。
その女優の名は奈良岡朋子。1929年生まれで当時60代前半であった彼女もまた、舞台女優としての絶頂にあった。

奈良岡の舞台を初めて観たのはグレイクリスマス(1992年劇団民藝公演@紀伊國屋ホール)である。
斎藤憐の代表作の一つに数えられる戯曲の一つであり、日本有数のウェルメイドプレイ作家でもある斎藤の脚本に感動していたと記憶する。
だが終盤で奈良岡演ずる五條夫人が日本国憲法序文をオペラアリアの如く滔々と吟ずるシーン、その美しさはそれまでの演劇的感動とは異なるものだった。
あのアリアでの奈良岡の声と響きが、戯曲への感動以上に未だに私の耳に残っているのである。

その3年後に青春の甘き小鳥(1995年劇団民藝公演@紀伊國屋ホール)で再び奈良岡と出会う。
老いに絶望した奈良岡演ずる女優アレクサンドラ・デル・ラーゴと、永島敏行演ずるジゴロとの逃避行の物語。
再起のチャンスを掴まんとするヒロインと、彼女を失っては生きていけないジゴロとの対決のクライマックス。
永島が奈良岡の髪を鷲掴みにして彼女の顔を煌々とした照明にさらし、お前は何者だと問う。
「私はアレクサンドラ・デル・ラーゴ!」奈良岡のこの台詞に私は電撃に打たれたような感覚に襲われた。
作者T.ウイリアムズの職人芸の極みとも言うべきドラマティックなシーンであることは言うまでもない。
しかしあの奈良岡の勝鬨はもはや舞台劇の台詞を超えた、生の女・生の女優・生の人間の魂の吐露そのものだった。
技巧としてのリアリズム・演技術を超えたものがそこには確かに存在した。

その後私は鈴木忠志や宮城聡(当時はク・ナウカ時代)の芸術と出会い、より先鋭的で幅広い芸術に目を向けて新劇からしばらく遠ざかる。
奈良岡との再会は16年後のカミサマの恋(2011年劇団民藝公演@紀伊國屋ホール)まで待つことになる。
80代に達した彼女は熟年女性の役を演じており、若き日の私が観た輝けるヒロイン像はそこには存在しなかった。
だがホールに奈良岡の第一声が響いた時、私の中で五條夫人とアレクサンドラ・デル・ラーゴの記憶が鮮明に蘇った。
そこには斎藤憐の美しいアリアもT.ウイリアムズの激烈さも無かったが、女優「奈良岡朋子」は未だ輝きを失っていなかったのだ。

新劇の演技術は発声術にかかっているといっても過言ではあるまい。
西洋言語と異なり、深く大きい共鳴を伴わない日本語という言語は、もともと劇場空間を満たすには極めて不利なのだ。
これは歌舞伎役者たちの発声が大ホールでは会場の奥まで通らない点からも明らかであろう。
なので新劇の役者たちは劇場を声で満たすために多大な労力と技巧を費やすことになる。
私に多くの感動を与えてくれた平幹二朗・三田和代・佐藤オリエたちですらその例外ではない。

奈良岡が他の新劇の名優たちと明確に異なるのはまさにこの点である。彼女の声には技術や技巧が全く感じられないのだ。
これは声楽の分野で、M.カラスやR.スコットといった名歌手が、低音から高音の継ぎ目がわからないと言われる点に共通する。
恐らく多大にして激烈な修練の結果、この名人らはいわゆる「テクニック」を完全に血肉化しており、本人自身が全く無意識のうちにそれらが機能する次元に至っているのだろう。
W.レッグが回想録(邦題「レコードうら・おもて」夫人E.シュヴァルツコップによる著書)の中で、1935年のF.ヘンペルのロンドンリサイタルをこう評している。
「彼女がいくつかの曲を歌い終わったとき、我々は完璧な歌唱と上手な歌唱の違いを即座に理解した」
「ヘンペルが優れているのは歌い手としてのみではない。彼女は偉大な芸術家なのである」
87年前の大歌手へのこの賛辞を、時代もジャンルも異なる奈良岡朋子に捧げることに、私は何らの躊躇も感じない。

2022年2月7日、新装なった渋谷パルコ劇場に足を運んだ。
20年近く観ていなかった「Love Letters」、故青井陽治の存命当時から何度繰り返し観た作品だろうか。
たかがリーディング作品と侮ることなかれ。1回きりのリハーサルで本番に臨ませるという、役者にとって極めて過酷な作品なのである。
幕が開くと違和感がある。昔から演者2名はチェアに腰掛けるだけなのが、覆い付きのテーブルが演者の前に置かれている。
奈良岡が車椅子なのでは?・・・この過酷な作品に奈良岡が耐えられるのだろうかと不安がよぎる。

第1幕開幕直後は不安が的中し、奈良岡の台詞に滑りや噛みが目立つ。
作品の性質からやむを得ないとは言え、民藝公演で観たかつての奈良岡の舞台ではあり得なかったことだ。
だが作品が進むにつれ、岡本健一ともども安定感が増していき、開幕で見られた不安定ぶりがほぼ解消した。
ほっとすると同時に、今回の舞台が奈良岡の最後の舞台になるのかもという思いが確信に変わる。

そして第2幕のクライマックス。スキャンダルから身を隠そうと逃げるアンディに、メリッサが縋り付き慟哭する。
その瞬間、奈良岡の声が一変した。広大なパルコ劇場の空間が嘆きの歌に満たされた。
そう、この声だった。若き日の私を呪縛にかけた五條夫人が、アレクサンドラ・デル・ラーゴが、いや一人の「女」がそこに現れたのだ。

幕が閉じ、私は万感の思いを込めてブラヴォーを送った。
1度目のカーテンコール、奈良岡も岡本も席に座ったまま観客に会釈を送る。
そして2度目のカーテンコール、奈良岡は岡本に肩を支えられながら自力で立って我々に挨拶を送ってくれた。
あの時の奈良岡の表情を生涯忘れることはあるまい。舞台をやり遂げた充足感だけでは無い、深い想いがその表情に刻み込まれていた。
この偉大な大女優は最後の最後までその偉大さを我々の脳裏に刻みつけたのである。

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