人によってついた傷は人との関わりで癒えるのだろうな(配信ライブの感想)

配信ライブが同じ日にあったので、両方買ってみました。
日中は男子プロバスケの試合をみに行ってて、なんかギチギチに予定詰めちゃった。

ヨーイチさん追悼ライブ Ric Fest. at 251

ヨーイチさんのバンドを直接聞いたことはなかったのですが、恭一のエッセイによく登場していたヨーイチさん。早すぎる。
追悼ライブを配信にて公開とのことで。
これがお初になるのが申し訳ない気もするけど、残された歌は誰かが歌って、誰かが聞くためにあるわけで。

恭一もMAGUMIも水戸さんも、歌わなきゃいけない歌がいっぱいあるわね。

腕に巻いてる 時計がせかす
もっと行け もっと行け もっと走れ

銀の腕時計/アンジー

と、水戸さんの銀の腕時計まで見て次の配信ライブへ。

吉田一休バースデーイブイブライブ

こちらはお祝い。

やけに緊張気味な感じの一休さんでしたが、歌はなんというかリラックス感があってとても良かったです。
これは、違っていたらごめんなさいなんだけれども、コロナ禍以前はきっとこんな風な感じだったんだろうなと。お客さんの空気もふんわりしててハッピーな感じ。

季節は流れて

1番最初の無観客配信でも12弦で歌っていらしたのですが、同じ12弦でも全く違う印象。
この歌こんな柔らかい歌だったんですね。
まだ寒いだろうなと身を構えて窓を開けたら、思った以上に風が柔らかかった。みたいにこの日は聞こえました。

最初の無観客配信の時は、春に吹く強く冷たい風のようにシビアで、「なんて厳しい事を歌うんだろう」と思ったのですが、どちらも好きです。

っていうか、やはりこの歌はとても良いですね。
その時々の心持ちで、厳しく響いたり、力強かったり優しかったり。
多分、毎回違う感想になりそう。
そして、最初に聞いた時にスコーンと心に入ってきた感覚は今でもはっきり思い出せて素晴らしい歌。
最初にこの歌を聞いたのは、コロナ禍で最後の大会を諦めた娘が泣いた時で、春の午後の日差しと泣いている娘を思い出して、なんというか色々なるようになって良かったなとしみじみ思います。

配信ライブコメント考

今回、会場の様子をぐるっと映してくれた時があってやっと、どのように配信時のコメントが会場で晒されているかわかりました。
客席の後ろにでかでかと写されているのですね。恐ろしや。
っていうか、私もあほなんで
・コメントしている以外にも見ている人がいる
・アーカイブでコメントがそのまま残っている
という事に数回前の配信で気づいて「ぉぉ……なんて恥ずかしい…」と。こう、割と「後に残ることのない言葉」としてコメント入れていたので。
そして、これはもしや
・あいつとんちんかんなノリで書きやがって
・調子乗ってる
・あの人がコメ欄いるなら私は書きたくないわ
位に思われているのかななんて思ったり思わなかったり。だいぶビビり倒してしまっています。沈黙は金って言いますしね。こういうのはやはり最初から何も言わずに見るのが正解だったな。
「あなたのコメントは金のコメントですかくそなコメントですか。」ってな自問自答してみたり。(大体くそです)

っていうか、配信見てる側なんて
「盛り上がってるかー!二階席!!!」
位な扱いで私はいいと思います…。
コロナ禍終わったのでリアルな反応は会場にありますしね。いいんです。配信なんて愛人みたいな日陰の存在で。日曜にこっそり見に行ったあの人が庭でFamilyと仲良く遊んでいるわね。ふふふ。てな感じで見てますから。
嘘です。お酒飲んだりゴロゴロしたり洗濯物畳みながら見てます。

好きでしかたない

これ、コメント欄でタイトル聞いてくれた方がいてありがとうございます。この歌好きなんですよね。

なんというか、既存のコミュニティに入るのってすごく怖いんですよね。「何かのファン」のコミュティなんか特に。
「私の方が先に好きになったんだから!」って言われちゃうとなんとなく遠慮しちゃうあれですね。
なのでこの歌を聞いていると、まあそれでもファンでいてもいいのかしらなんて思えます。

君の過去がここに導いた
僕の過去がここに導いた
君の過去が僕を導いた
僕の過去が君を導いた
計算なんかできないけど今がきっとその答え
お互いが引き寄せたこのシチュエーション

ここまでロマンチックな感情ではないですが。
じゃあ若いころに知っていたらファンになっていたかなと思うと、どうなんだろうと思うのですが、若いころに今の一休さんが存在していたらやっぱりファンになるだろうなと思って、タイミングってあるよねって感じです。

昔の恋人が「若いころはかっこよかった」話を私にする人で(確かにかっこよかった)、その話を聞いて「でも、私は今のあなただから好きなんですよ」と少し悲しく思ったのですが、それは多分、私の「今」をも否定されている気持ちになったからなのかな。と思い出したり。

こんなになっちゃった

「想像していた心配事なんて結局なにもおきなかったよね」
というMCからのこちらの歌。
確かに。ごもっとも。
まだ、コメントの在り方について考えていた私は、
・アーカイブで見た時にコメントいっぱいだと面白い。
・毎回タイトルを書いてくれる方いつもありがとうって私は思っている
・ほかで全く絡みがないしファン歴浅いのに、ポロっといれたコメントに返事くれる人がいるととてもうれしい、優しい、大好き
・「会場だと感想言いながら見れないし」「コメ欄少なくてもこのメンバー楽しい」ってコメントが(そこに私が含まれていないとしても)なんかうれしかった

ということに気づいて、うがった見方をしてしまった自分を反省しました。いや、歌と全然関係ない。

そんなわけで、人によってついた傷は、人との関わりの中で癒えるものなんだなって。思えた配信&コメント欄でした。なんとなくですが。

嘘をつかないように
悲しませないように
もっともっと愛し合えますように

「悲しませないように」はほんと、お体お大事に。
まだまだ歌を聞きたいので。
あと、遠方ファンを気にかけてくれるなら、通販してくれ。CDほしい。
今の声がとても好きなんですよ。

宮崎洋一追悼ライブ『Ric Fest. at 251』

というわけで、アーカイブで続き。
正直、誰かの訃報に触れるのはとても怖くて、病気だと特に、これは非常に自分勝手な感情と私も思うのですが、それでもやはり自分のこの先を考えてしまう。あと何年健康でいられるのか、そうじゃなくなった時に後悔するのが本当にこわい。
のですが、一休さんの配信で「起こってもいないことなんて考えない」ぞと思おうと思ったので、一休さんの配信先に見て正解だったかな。

銀の腕時計でだいぶしんみりしちゃったのですが、天井裏からでわっと盛り上がって、色々ごちゃごちゃ考えていたことも怖くなったことも全部吹き飛んじゃった。
かっこよすぎる。
お客さんもノリノリでかっこいい。

251の配信

そこまでたくさんの会場の配信ライブを見たわけじゃないのですが、私が見た中では251の配信がすごくかっこいいなという記憶が。
で、やはりめちゃくちゃかっこいい。
特に、引きで観客を入れての絵がジーンときて。
観客が振り上げた腕とステージをオーバーラップさせたり、MVを見ているような。これをライブでできるってすごいな。
少し寄って振り上げた腕の隙間から見えるステージなんかはライブハウスにいるよう。

配信ライブあれこれ

「うう、予定詰めすぎた」なんて思ったんですが、やっぱり配信ありがたい。
追悼ライブで思い出したのですが、現ちゃんのお葬式の時はファンの人たちが掲示板に色々書き込んでくれたよなぁと。
うれしいことは言わずもがな、悲しみを共有できるのありがたい。

遠くにいるファンは、足しげく通うこともできなくて、なにかあっても知れることは少なくて、できることも少なて、でも好きと思った気持ちというは永遠で、機会があったらやっぱり見ていたいなと思うので、できる範囲で配信ライブを続けてくれると嬉しいなって思います。

来年またなにかやれたらいいな