2. 安部 清明

 心、静かに過ごしたい。
 それが、俺のささやかなる夢だった。
 毎年毎年、クラス替えのたびに打ちのめされる。
 高校三年、四月。今年も教室の前には人だかりが出来ていた。
 俺を知る人、知らない人が、めいめい指をさしながら遠巻きに俺を見ては笑う。
 大っ嫌いだ、人間なんて。
「おーい、セイメイ!」
 更に、拍車をかける親友がいる。
人だかりは、「やっぱり!」という雰囲気だ。
 違う、俺は……
「清明! き、よ、あ、き、だ! 大雅(たいが)!」
 人だかりに見向きもせず、平然と俺に話しかけるこいつは、俺の幼なじみであり、親友の原 大雅(はら たいが)。
「いいじゃん。セイメイで。今更、呼びにくいだろ」
 俺は机に突っ伏しながら、頭を抱えた。
「お前が呼ぶから、勘違いされるんだろ。新任の先生なんて、大抵、アッチで呼ぶし」
 「アッチ」というのは、当然、陰陽師で最も有名なあの人の名前だ。
 俺の両親は、何も知らずにこの名前を付けたらしい……。まさか、昔々の魔法使いの名前だったとは。
「なあ、ところで、あのコ、知り合いか?」
 大雅が指さす方に目をやると、不自然に目をそらす女が居た。
「……知らない」
「地味だけど、可愛いよなー。清水 霧恵(しみず きりえ)ちゃん」
「何で、名前知ってるんだよ」
「可愛い女の子の名前は、とりあえず覚えてる。それが、モテる男ってモンだろう」
 ああ、そうだった。
こいつは、とにかく可愛い女の子に当たっては砕ける。しかも、全然へこたれない強靭な精神力の持ち主だった。
ちなみに、モテた試しがない。
「興味がない」
 日照雨(そばえ)が、一番綺麗だ。
「またか……。また、ソバエちゃん?」
 俺は、慌てて大雅の口を塞いだ。
「不用意に名前を出すなよ」
「何でだよ? お前にしか見えない恋人とか、羨ましすぎるわー。俺も見たいわ、ソバエちゃん」
 大雅には、何でも打ち明けていた。
 試しに、と思って、日照雨に会わせてみようとしたが、やはり、俺以外に姿は見えないようだった。
「アブナイ奴だと思われるだろ、第一、恋人とか……、そんなんじゃ……」
「大丈夫、もう充分、アブナイ奴だから」
 顔を赤くした俺の肩を、大雅が軽く叩いた。
「ソバエちゃんと居るうち、色々と“見える”ようになっちゃったんだろ?」
 そう、そうなのだ。

 日照雨と過ごすうちに、俺はヒトならざるモノが“見える”ようになって来てしまっていた。
 アチラさんも、“見える”人間に助けを求めるらしく、一時期、大量の霊たちにつきまとわれて困ったことになった。
 見かねた日照雨が、簡単な除霊法をいくつか教えてくれたお陰で、再び平和な日々が過ごせるようになった。

「俺だって、好きで“見える”訳じゃない」
「悪いことじゃないだろ。気にするな」
「お前が、『アブナイ奴』って言ったんだろ!」
「本気じゃないよ」
 軽く笑って、大雅は自分の席に着いた。
良くも悪くも、大雅はあまり深くは考えない。
たまに、モテないのが不思議だと思うくらい、さっぱりとした奴だった。

 担任が教室に入って来て、人だかりは散って行った。
 だが、やはり視線を感じた。
 斜め前、清水 霧恵が俺を見ていた。
そして、目が合うと、やっぱりすぐに逸らされた。
(なんなんだ……)
 イライラする。
 日照雨に会いたい。

 最近、日照雨は哀しいことを言い出した。
『きよあきさま は、すきなじょせいと、おすごしには ならないのですか?』
 これには、少々ムッとした。
「……居ない」
(日照雨が居る)
 相手が、心を読めると知っていて、強く心で呟いた。
 ためらいながら、日照雨は続けた。
『けれど、わたくしは にんげん ではございません』
 日照雨のためにと開いていた本を、バン、と閉じた。
「少しずつ、お前に触れられるようになって来ている」
 そっと日照雨の頬に手を当てて、集中する。
気が逸れると、指先の感覚は一瞬にして無くなり、俺の指は日照雨をすり抜ける。
 数秒間、触れたり、すり抜けたりを繰り返す。なかなか安定しない。
「……クソッ」
 触れたいのに、上手く出来ない。
日照雨は、ずっと、哀しそうな表情を浮かべている。
(そんな目で見るな、虚しくなる)
『ごめんなさい……』
 日照雨が傷付いたのが、はっきりと伝わった。
 周りの空気が、変わるのだ。それは、除霊法を覚えてから感じていた、不思議な感覚だった。
「……帰る」
 伸ばしかけた手を引っ込めて、俺は本をしまいながら立ち上がり、そのまま祠を立ち去った。
 俺の背中に、『おきをつけて』と、雨が降った気がした。

 それから数日、会いに行っていない。
 俺が拗ねたところで、日照雨が何を思うかなんて、解らない。日照雨は、人間ではない。その姿は、初めて見た時のまま、歳を重ねることもない。
 10代にも、20代にも、30代にも見える。
もしかしたら、歳なんて概念自体が無いのかもしれない。
 俺が小さな子どものように甘え、当たり散らしても、日照雨は、じっと祠に佇んで、ただ受け入れるだけなのだ。
 例え、俺に人間の恋人が出来ても、日照雨は怒りもせずに受け入れるだろう。
 それがここ数年、虚しくてたまらなかった。

 放課後、今日も日照雨のところへ行こうか迷っていて、大雅とどうでもいい話をだらだらとしていた。
「……ねえ、セイメイ、くん?」
 間違った読み方で呼ぶ声がして、声の主を探した。
「霧恵ちゃん!」
 いち早く大雅が気付き、目を輝かせた。
清水 霧恵が、俺たちに近付いて来る。
「どうしたの、霧恵ちゃん!」
「セイメイくん」
 清水 霧恵は、大雅を無視し、俺に話しかけた。
「違う」
「え?」
「俺は、清明。セイメイじゃない」
「あ、ごめんなさい。大雅くんが呼んでたから、てっきり……」
 「大雅くん」? いつの間に、仲良くなったんだお前。
大雅に目をやると、にやっと笑った。
「で、何?」
 溜め息をつきながら聞くと、清水 霧恵は言いづらそうに俯いた。
「セイメイ、威圧的過ぎ」
 大雅が、ヒジで俺を小突く。
威圧的? 何が?
「あの……セ、清明くん。“見える”ってきいたんだけど」
 つり目がちな目が、少し怯えていた。
 俺のせいか?
「“見える”? 何のことだか……」
「え? だって、大雅くんが……」
 大雅、この野郎。
舌を出しながら、ごめん、のポーズをしている大雅をにらみつけた。
「だって、霧恵ちゃん、困ってるみたいだったから」
「だからって、ほいほい喋るな。除霊は、あくまで防御のためであって——」
「やっぱり! 出来るんだね、清明くん!」
 感嘆の声を上げる霧恵に、俺はしまった、と思い、眉間にシワを寄せながら口元を手で隠した。


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