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『腐女子』について。

世の中に、「腐女子」という言葉が認知されて久しい。
かつて、コミケ(コミックマーケットの略、同人誌即売会)に店を出したり、通いつめる人種や、レイヤー(コスプレイヤーの略)さん達などは、本当に肩身が狭かった。

漫画やアニメや声優の話をするだけでも、指を指されたり白い目で見られたり。

知人の話になるけれど、ある時、彼女にイケメンの彼氏が出来た。
しかし、イケメンの彼氏は彼女のオタク趣味を毛嫌いしていた。
「いい歳して、アニメやらコスプレやらで集まるとか、マジでキモい」
 と。
そんな彼氏の趣味は、車。
あちこち改造した車で、峠を攻める。
オレ、カッケーな方。
それを友人(上記の彼女ではない)から聞いた私は、
「なんじゃそれ。自分だって、思いっきり個人的な趣味持ってんじゃん。そいつ呼び出して言ってやれ、『コッチじゃ、テメーの方がアウェイなんだよ!』って」
 と言って、知人のイケメン彼氏に不信感を抱いていた友人を、爆笑させたことがある。


その友人は、周囲に感化された遅咲きのオタクであるが、アニメのキャラ物のストラップを堂々とケータイに付けたりなど、全く隠す素振りがなかった。
時代は変わった…、としみじみと感じた。
痛車とか痛バッグとか、最近はオタクアピールする人が多いよね。

ちなみに、私は買い専門、または文字書きで同人活動をヒソヒソとやっていた。

ゼロからキャラクターを創るのは本当に大変で、自分から動いてくれるまで筆が進まない。
その点、同人は既存の創られたキャラクターを使わせてもらうので、すでに人格や動き方が決められていて、物語を書くのがとても楽だった。

こんな時、このキャラクターならどうするかな、とか、こちらは湖面に石を投げるだけ。
あとは静かに波紋が起きるのか、または魚が急に飛び跳ねるのか、はたまた実は湖ではなくただの水たまりだった、とか、見守るだけでいい。

演劇をかじった経験から例えると、私は演者より演出家が向いているのだろう。

まあ、他人のフンドシで相撲をとるようなものだから、賛否は承知。
二次創作など、もってのほか!という人もいれば、二次創作推奨の作家さんも居る。

私の尊敬する和製ファンタジーの三巨匠の一人、荻原規子さんが、
「私はどんな偉い人から賞をもらうより、同人誌一冊を頂けることの方が嬉しい」
 と、オタクな荻原ファンを泣かせにかかるコメントをしていて、更にファンになった。


同人をやっていた、が、まだホームページは残っているので、かつてのリンク仲間(相互リンク、互いにホームページにリンクを貼り、宣伝したりコメントしたりしていた)のリンク切れを目の当たりにしたり、リンク仲間がランキングから消えていたり、ランキングのリンクすら切れていたりと、ジャンル離れ、または同人離れにショックを受ける。
一番の理由が、ジャンル自体の過疎化である。

更に言うと、一時期より、物書き同人作家の半数を占めていたケータイ作家が、激減してしまっていた。

理由は、スマートフォンの普及である。

ポチポチと押している、という感覚のガラケーと違い、長文入力が難しいスマートフォンでは、ケータイ作家たちは文章を書く気にはなれなかった。

また、スマートフォンに対応したケータイホームページ作成サイトも少なく、ケータイ作家は一気に離れてしまった。

パソコンでは書けるが、スマホからは書けないという方とよく似ていると思う。

私のやっていたジャンルは、物書きの、素晴らしい才能を持ったお姉様方が多かったため、
「ああ、あの中に混ざりたい」
 という気持ちで始めたのだった。


今でもたまーに、自分のホームページを見に行くけれど、足跡が数件ずつ残っていたり、懐かしの拍手機能が押されていたりすると、
「せめて途中の物は、最後まで書かないと」
 と思うのだが、なかなか前に進まず。


長くなったし、まとまりがなくてごめんなさい。
この腐女子語り、またやりたい。(笑)


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#同人