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生まれ変わっても、愛してる。

 こないだ、母親と電話してる時に「なんにでもなれるよ、どんな才能でも選んでいいよ、なんにでもなれるよ、って言われたらなにになりたい?」という茫洋とした話になった。私は「ピアニスト」と答え、母は「あなたも?」と言った。私はオーケストラと共演するような大ピアニストになりたかったと言い、母はどんなコード進行でも使いこなすジャズピアニストになりたかったと言った。夢物語だね、と笑いあって、まあ、それだけなんだけど。
 そんな完璧な人生があったとして。
 ピアニストなんて夢物語まで行かなくても、あの時、あの瞬間、いつかのどこか、何かが違ってより望んだ方向に人生が向かっていたとして。

 超特急 Spring Tour 2023「B9 Unlimited」、7月14日大阪・オリックス劇場公演。勾配の比較的きつい会場の二階席から9人を見つめながら、強烈に悟ったことがある。そのことを書こうと思ってずっと忘れていた。
 これっきりだ。そう思った。
 超特急のライブがとか、そういうことじゃなくて、人生がさ。

 私があの瞬間、オリックス劇場の二階席に立って、超特急を眺めることになる人生はこれっきりだ。
 今まで、望んだものがたくさんあった。叶わなかったものも数えればいくつもある。叶わなかったからこそ出会えたとか、叶ったらどうだったとかそんなことを言うつもりも、その中身を具体的に書き綴るつもりもなくて、ただ「これっきりだ、この人生は」とそれだけ、ステージ上の輝きが私に教えていた。

 遡って、同ツアー初日、神奈川・カルッツかわさき公演。
 2020年に始まったパンデミックの影響で、多くのアーティストが公演での観客発声禁止の対策を余儀なくされた。超特急も例外ではなく、計3ツアー、オンラインライブを行っていた期間も含めると3年もの間、超特急はファンの声を聞くことができなかったことになる。
 尤も、私自身コロナ禍後にファンになったため、超特急のライブにおける観客の歓声やコールの重要性を、本当の意味で身に沁みては理解できていなかったと思う。声を上げられなくても超特急のライブは何にも代え難いくらい楽しかったから。
 けれど、3年ぶりに解禁されたファンの大歓声を聞いた瞬間の2号車・カイくんの顔を見て、私は後悔した。血の気が引いたという感覚に近い。表現が正しいかは分からないけれど、カイくんはほとんどパニック状態に見えた。頭を抱えて、私がファンになってからの3年間で見たことのない顔で泣いていた。
 私が後悔したのは、カイくんがそれほどまでに欲しがっていたものについて、甘く見ていたことだ。思えばカイくんはことあるごとに教えてくれていたのに。オンラインライブで暗い客席に向かってパフォーマンスする時のさみしさや、ファンの顔が見えないことの物足りなさについて。声が出せない間も私は、ささやかにもペンライトを振って超特急のパフォーマンスに返事をしていたつもりだった。声援が、歓声が、お決まりのコールが、どれだけの力を持っているのか分かっていなかった。カイくんが泣く姿を見て初めてそのことに気づいた自分の、想像力の足りなさを思い知った。
 その日のカイくんの挨拶は忘れられない。声が聞けて嬉しいこと、ファンの前に立てない日々が本当につらかったことを、「もうやめてやろうかなとすら思った」なんて、普段の彼の落ち着きやあかるさからかけ離れた言葉すら使いながら、教えてくれた。
「3年前の自分に伝えたいです。"生きてるよ"って」
 あの時。エンターテインメントが、カイくんが、超特急が、生きる道が、「不要不急」と言われた日々。今目の前にある輝きを取り戻すまで、本人たちにとってはどれだけ長かっただろうと思う。「生きてるよ」はその苦しみの裏返しだ。不要なんかじゃなかった。私はあの時、「不要不急」の外出を奪われ、暗い部屋の中で彼らに出会った。あっという間に夢中になって、なんだかめちゃくちゃに元気づけられて、だから確かに、必要だった。必要だったんだよ、カイくん。


(でさ、)

 ついこないだ、私の神様が死んだ。
 そのことは一つ前の記事に書いたけれど、

悲しかったのは、今も悲しいのは、青春時代から好きだったロックンロールスターが死んだことじゃなくて、今、明日、チバがこの世界のどこかにいないことだ。今、明日、新しい歌をくれないことだ。チバがいないまま、時が流れて、いろいろが過去になっていくことだ。チバの声は私にとって、青春時代の思い出ではなく、いつだって今と未来だった。

 だから、訃報を聞いたその週末に控えていた超特急のライブに行くのが、正直なところ怖かった。
 ツアータイトルに掲げられた「T.I.M.E」という言葉にどういうメッセージが込められているのか、見る前からなんとなく想像がついていた。ライブの構成を手がける5号車・ユーキくんはきっと、絶対、人生の話をするだろう。過去のことや、流れていく時や、未来や、その先について、ライブを通して語りかけてくるだろう。
 実際、予想はほとんど当たっていたと言っていい。楽しいばかりではなかったグループの過去もすべて引き連れて、それでも、今を必死に積み重ねて、未来への光を掴む。そんなストーリーラインがセットリストに明らかに、そして巧みに投影されていた。そんな超特急の"今"は、過去に押し流されていく今やもう来ない明日を想っては気持ちをしぼませている私には、あまりにもまばゆすぎた。そこにある"今"が嬉しくて、同時にやっぱり悲しくて仕方がなかった。

 2週間後、大阪城ホール、最終公演。
 14号車・最年少18歳・ハルが言った。「僕は生まれ変わっても自分になりたいです」これ自体は彼が以前から言っていたことだったと思う。昨年新メンバーとして加入したハルの、こういう無敵感のようなものについてはいつも驚かされる。超特急は元々明るくて愛らしくて楽しい人たちの集まりだけれど、こんなことを真っ直ぐ言うようなメンバーは、意外といなかったんじゃないだろうか。そんなハルの言葉が、先輩でもあるメンバーにも不意に、響いてしまったのだと思う。だって、まさか、リョウガくんが。

「思ったことが二つあります。まず、タイムマシンが使えたとして、僕は使わないと思います。反省はあるけど、後悔はないから。この先、僕が、仮に、終わった、とします。…いや、仮にですよ(笑)ハイ、終わったと、して、また超特急のリョウガに生まれたいです」

 超特急3号車・リーダーのリョウガくんが元来どんな人であるかについて、あまりよく知らないお前も、私よりずっと知っているお前もいるだろうからここで説明するのはかなり難しい。ただひとつ言えるのは、リョウガくんの言葉はいっときの興奮からの出まかせではなく、この一年半、この3年、この5年、この12年の全部だということであって、あの時、私たちにもそれがはっきり分かった。

 例えばいくつかの要素において私が望んだものが全て、いやどれか一つでも叶った人生だったら、きっと、絶対、超特急には出会わなかったと思う。全てのタイミングが違っていった先で、それでも出会えるなんてことはない。
 タイムマシンを使えたとして、使っちゃうかも。私は。
 生まれ変わったとして、なんか別のもんになりたいかも。私は。
 ずっとそう思ってきた。
 ブラッシュアップライフってドラマあったじゃん。死後の案内所でバカリズムに言われるの。次は「グァテマラ南東部のオオアリクイですね〜」って。嫌なら「今世をやり直すことも可能です」って。私はもう全然オオアリクイでもアリでもいいな〜って思ってた。

 でもリョウガくんが「生まれ変わっても超特急・リョウガになりたい」って言うなら、ちょっと考えてみてもいいかもしれない。初めてだ。そんなことを考えたのは。
 単純すぎるファン心理だろうか。でも私たちはあの時のリョウガくんの言葉を裏打ちしていたもののことを知っている。リョウガくんにああ言わせた今と、未来の輝きを知っている。何度でも見たい美しさがあることを知っている。どんな過去をも超えて欲するほどに。

 今と未来をやり切って、あの輝きを自分の足で潜った時、生まれ変わってもう一度、会えるならば。もう一度、あの人に会えるならば。もう一度、君に会えるならば。いいかもね、それも。