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ニーファイ第二書1−2章:人の選択の自由という賜物を死守する〔質問に答える〕①

前回の「質問を尋ねる」記事をまだ読んでいない方はこちらから。

2ニーファイ1−2章を学ぶ中で「選択の自由」というテーマに心をひかれていったわたしは、まず「選択の自由」という教義を調べて掘り下げることにしました。

福音のテーマ/トピックを調べ学ぶ

現代において、福音をテーマ/トピックごとに調べることについては非常に恵まれた環境が与えられています。インターネットを用いることで、簡単に求めている情報にアクセスすることができるようになりました。


ちなみに…:福音学習で用いる情報源について

ちなみに、わたしは福音の学習においてインターネットを使用する際には、「信頼できる情報源」を頼りにしています。個人の解釈や意見は、その人自身の解釈や意見として尊重しますし重要な視点を含むものです。しかし、神様に関わることを自分で学ぼうという時には、できる限り純粋で真理の源に近いところから自分自身で味わうことが重要だと考えています。

そのような意味で、わたしの記事を訪ねて下さる方々にも、わたしの記事は参考程度、特に聖文研究のプロセスにおいて「こんなふうに学んでいる人がいるんだな、こんなことを考えているんだ」という程度に考えていただければと思います。その上で、あなた自身の聖文研究のためにヒントとなるものがあるなら儲け物です。

何度も言いますが、記事の内容はあくまでわたし個人の学習を紹介したものであり、その解釈や定義において何ら権威をもつものではありません。大切なのは、その人自身が純粋な真理の源を訪ね、自分自身で味わい、自分自身の心で聴こうとするプロセスを経験することです。


ということで、「選択の自由」などのような福音をテーマ/トピックごとに調べたり学んだりする時には、役立つ情報源がいくつかあります。わたしがよく使用する代表的なものに「聖句ガイド」「トピックと質問」「検索機能」があります。

聖句ガイド

「聖句ガイド」は、聖典に登場する単語、テーマ、人物、地名を辞書のように50音順に整理したもので、基本的な定義、代表的な関連聖句、関連する聖句ガイド内の他の項目などがまとめられたものです。
末日聖徒イエス・キリスト教会のモルモン書や合本(日本語版の場合、モルモン書、教義と聖約、高価な真珠という聖典が一冊にまとめられたものです)に付録されているもので、教会の公式サイトや福音ライブラリーアプリからもアクセスできます。

トピックと質問

「トピックと質問」とは、聖句ガイドと同じように福音に関連するテーマやトピックが50音順に並べられた情報リソースですが、聖句ガイドとは違い聖典に直接登場しないトピックも含まれます。例えば、「虐待」「ポルノグラフィー」「多様性」などわたしたちの生きる現代においてクローズアップされるようになったもの(とはいえ、これらのトピックに関連する真理、教義や原則はいつの時代にも普遍のものです)、わたしたちの教会について語られる時によく議論される歴史や教義、教会組織の特徴などのトピックなど、より包括的な福音のトピックやテーマに関する情報が含まれています。教会公式サイトや福音ライブラリーアプリから参照できます。
聖句ガイドよりも、そのテーマやトピックについて詳しく解説されていますが簡易な言葉でまとめられています。また、聖句ガイドは関連聖句が一覧されているのに対し「トピックと質問」は聖句だけでなく関連する情報や指導者の説教にも紐づけられていています。

検索機能

「検索機能」とは教会公式サイト内の検索機能のことで、検索バーにキーワードを入力することで、公式サイト内の関連する情報が表示されます。検索結果を聖文、総大会、トピックと質問、各種機関紙などフィルターをかけて絞り込むことができます。(福音ライブラリーアプリの検索機能は今のところ公式サイトの検索とは別物で、個人的にはあまり使い勝手が良いとは感じられません)
今回の学習の場合、総大会の説教から「選択の自由」に関連したものを見つけるために検索しました。いくつもの説教が一覧されますが、その中でも特に気になったものをいくつか取り上げて学んで見ることにします。学ぶ説教を選ぶのに大管長会や十二使徒のお話を中心にできるだけ近い年代の物から選んで取り上げますが、他の中央幹部や中央役員のお話も学びます。検索結果から実際に学ぶためにピックアップする情報の基準は非常に大まかなもので、正直にいえば「何となく気になるもの」を選んでいます。

今回、学習のために取り上げた総大会のお話は以下です。

永遠のための決断:ラッセル・M・ネルソン
2013年10月総大会(なぜかリンクが正常に表示されませんでした)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2013/10/decisions-for-eternity?lang=jpn

気になる説教をピックアップしていくと気づけば結構な数になっていることが多いです。わたしの場合はここから取り上げた説教を全てひとつひとつじっくり学ぶわけではありません。ざっと目を通してやはり心に留まったところや質問が浮かんできたところで立ち止まって深めていくという感じになることが多いです。説教をピックアップしていく際にタイトルを頼りにすることが多いですので、実際に内容を読んでみると今回自分が学びたいと思っていることとは微妙に違うテーマである場合もあります。

「選択の自由」について基本的な理解を整理する

これらの資料や情報源を用いて、2ニーファイ1-2章から学びがどんどん広がり展開していきました。ここまでで改めて「選択の自由」というテーマについて整理できたことを一部紹介してみたいと思います。

人に与えられた選択の自由

選択の自由とは、「聖句ガイド」や「トピックと質問」で次のように定義されています。

神が人に授けられた、自分自身で選び、行動する能力と特権。

聖句ガイド「選択の自由」の項

……選択の自由は救いの計画に不可欠な要素です。選択の自由がなければ、学習することも、進歩することも、救い主に従うこともできなくなります。

トピックと質問「選択の自由と責任」の項

選択の自由、つまりわたしたちが何を考え、何を感じ、何を信じ、何を行うかを自分で選ぶことのできる能力は神様が意図して人に与えられた祝福であり特権と言えるようです。

選択の自由の目的

神様は何を意図されて選択の自由をその子供たちに与えられたのでしょう。ニーファイ第二書1-2章の中にある次の一節を読み返しました。

……人の行く末に関わる永遠の目的を達するために……主なる神は思いのままに行動することを人に許された。

モルモン書ニーファイ第二書2章15-16節

この聖句について考えると、わたしたちの天にいらっしゃるお父様である神様は、その子供たちの「行く末」、つまり現在の状態ではなく、なるべき姿・あるべき状態について特別な目的をお持ちであることがわかります。そのことを意識しながら預言者の教えを学んでいると、次の言葉が心に留まりました。

天の御父の子育ての目標は、子供たちに正しいことを行うようにさせることではありません。正しいことを行って最終的に御父のようになることを選ぶようにさせることなのです。……
……神は、ご自分の子供たちを、日の栄に入ったときに居間で神のスリッパをかじったりしない、よくしつけられた従順なだけの「ペット」にしたいと思っておられません。そうではなく、神は、ご自分の子供たちが霊的に成長して、一緒に神の家族として御業に携わるようになることを望んでおられるのです。

デール・G・レンランド「きょう、選びなさい」2018年10月総大会

天のお父様のわたしたちのための計画の目的は、わたしたちの「成長」であり、現在の状況にとどまっているままでは決して得られない「喜び」にあるということを再度確認できました。この成長と喜びには「選択の機会」と「選択する能力」が必要です。そのため、わたしたちの生きるこの世界には「反対のもの」(2ニーファイ2:11-16参照)が不可欠です。

選んだものから報いを受ける

リーハイはこれらの選択する機会にあふれた人生にあって、何かを選ぶことはその先にある結果と結びついていることを子供たちに明らかにしました。今する選択が将来に影響を与えたり、過去の誤った選択からの影響を克服する転機となったりするということを、現代の預言者たちもリーハイと同じように教えています。

人は肉においては自由であり、人のために必要なものはすべて与えられている。そして人は、すべての偉大な仲保者を通じて自由と永遠の命を選ぶこと緒、あるいは悪魔の束縛と力に応じて束縛と死を選ぶことも自由である。

モルモン書ニーファイ第二書2章27節

現世は、永遠にわたる最も重要な事柄を選択することについて学ぶ、特別なクラスです。あまりに多くの人が、この人生がすべてであるかのように生活しています。しかし、今日の皆さんの選択が、3つのことを決定します。永遠にわたりどこで生活するか、どのような肉体で復活するか、そしてどのような人と永遠に生活するか、です。ですから、日の栄の考え方を持ちましょう。
教会の大管長としてわたしが最初にお勧めしたのは、結果を念頭に置いて始めることです。これは日の栄の王国を永遠の目標とし、この地上で決定することによって次の世で自分がどこに行くのか、慎重に考えることを意味します。

ラッセル・M・ネルソン「日の栄の考え」2023年10月総大会

長期的な視点から見てください。現在下す決断は、自分の将来にどんな影響を与えるでしょうか。教育を受けることや福音を研究すること、聖餐を取って聖約を新たにすること、神殿に参入することの大切さを、忘れないでください。

ダリン・H・オークス「その先に何があるだろうか」2019年4月総大会

選択の自由によって、わたしたちは道を進むことも、進まないことも選べます。道を外れることもできれば、外れないこともできるのです。……
しかし、わたしたちが道を外れるとき、神は悲しまれます。最終的に必ず幸せでなくなり、祝福を失うことを、神はご存じだからです。聖文では道を外れることを罪と呼び、その結果として幸福でなくなり、祝福を失うことを、罰と呼びます。この意味で、わたしたちを罰するのは神ではありません。罰は、神がお与えになるのではなく、わたしたち自身の選択の結果なのです。
自分が道を外れていることが分かった場合、外れたままでいることもできますし、イエス・キリストの贖罪があるので、引き返して道に戻るという選択をすることもできます。聖文では方向を転じて道に戻る決心をする過程を悔い改めと呼びます。

デール・G・レンランド「きょう、選びなさい」2018年10月総大会

このように「選択の自由」について学んだことを整理することで、「選択の自由」について理解し、それをどのように使うかということが、わたしたちの幸福に直接的なインパクトを与える決定的な要素であることがわかりました。

心に浮かぶさらなる質問に導かれて…

そのことを考えると、なぜ息子たちへの最後のメッセージとしてこのテーマがリーハイの心からあふれ出てきたのかもっと理解できたような気がします。また―「選択の自由」について学ぶプロセスで読んだモーセ書を学んだのですが―そこにもあるように、なぜわたしたちが生まれてくる前に「選択の自由」というテーマが神様の家族全体を挙げて評議されるほど重要な議題となったのか、その場で天父とイエス様がなぜわたしたちの選択の自由を何が何でも死守されたのかが、もう少し理解できました(モーセ4:1-4参照)。

ここまでこのテーマについて学んできたところで、わたしの心にさらに深く探求するように促す質問が浮かんできました。


  • イエス様(前世におけるエホバ)とサタン(前世におけるルシフェル)が同じように「わたしがここにいます。わたしをお遣わし下さい」と言ったとき、二人の間で何が異なっていたのだろう?実際に、彼らが選ぼうとしたことは何だったのだろう?

  • 「選択の自由」が保証された神様の計画と、「選択の自由」を損なおうとしたサタンの計画、それぞれの計画において「救い主」の役割は何か違いが生じるだろうか?

  • 天父とイエス様は、どのような思いで(たとえ神様の子供たちのうち3分の1を失うことになったとしても)「選択の自由」を死守されたのだろう?

  • これらのことについて考えると、わたしの毎日の選びは何か影響を受けるだろうか?


今日はここまでです。今週は「質問に答える」パートを1つの記事にまとめることができませんでしたので、次回の記事でこの学びのプロセスの続きを紹介したいと思います。あなたの思いと心にはどのような質問が浮かんできていますか?

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