たまご蒸しパンを食べていたら泣いていた夜

おはようございます。僕です。

最近、僕はお菓子を作りたくて仕方がない。
事の発端は仕事帰りにお腹が空いて食べたコンビニのたまご蒸しパンだ。あれを食べてから「こんなにたまご蒸しパンって美味しかったっけ」と思い始め、最近では毎日買って食べている。たまご蒸しパンジャンキーと化してしまった。

しかし、毎日仕事帰りに90円のたまご蒸しパンを食べていれば、一ヶ月で1800円もかかってしまう。
1800円といえば、僕が米を買わない月の食費の約半分以上だ。どうにかしてこのブームから脱出しなければ、僕はたまご蒸しパンに月1800円を毟られることになる。「たまご蒸しパンファンクラブ」の有料会員かよ。

そこで僕は「自炊した方が安い」の法則に則り「たまご蒸しパンも自作したら安く上がるのでは?」という結論に至った。
早速僕はグーグルで「たまご蒸しパン レシピ」と検索し、その材料を買いに仕事帰りにデパートへ寄った。
材料を買っている途中、「これは月に1800円も使わないために買うものなんだ。好き放題たまご蒸しパンを食べるためじゃない」と自己暗示をかけながら商品をカゴの中に放り込んだ。そうでもしないと、「仕事帰りに買ってたまご蒸しパンを食べ、家に帰ってご飯を食べた後に自作のたまご蒸しパンをまた食べる」という愚行にハマってしまいそうだったからだ。

そうしてついに週末、自作たまご蒸しパン第一号たちが完成した。

「我ながら完璧なものが出来た」と思った。蒸しあがったたまご蒸しパンを取り出し、プリンカップから丁寧に引き剥がしていく。
このプリンカップは百均で買ったのだが、底面に可愛い模様がつけてあって気に入ったから買った。しかし、そのとき作ったプリンはカップから剥がせないまま食べたので、結局模様が活かされることはないまま戸棚に眠っていた。
それでたまご蒸しパンを作ったらどうだ。

いや、パーフェクトかって。

ここまで嬉しい成功は小学生の頃運動会で障害物競争をやったときぶっちぎり一位を獲得して以来だ。あれから僕はずっとジメジメとした「成功とも失敗とも言えないまずまずな結果」を背負って生きてきた。
だというのに、たまご蒸しパンを作って出来上がりを見た瞬間、僕は「勝ち組」になったのだ。このたまご蒸しパンにこれまでの人生を肯定された気すらする。

僕は写真を撮ってTwitterにも投稿したし、家族にも見せびらかした。家族はめちゃくちゃ褒めてくれて、「親に褒められるのはいつぶりだろうな」とノスタルジックな気分に浸った。
食べてみたら味も最高に良かったし、僕はたまご蒸しパンを眺めてその週末は終始ニコニコとしていた。

作った時点では食べきれなかったたまご蒸しパンは冷凍保存した。
次の日の朝、僕は昨日作ったたまご蒸しパンを朝食と一緒にほとんど食べた。

その日の仕事が終わり、僕は寄り道せず真っ直ぐ帰り、いつも通り風呂に入り、晩ご飯の支度をし、食べ、食器を片付けた。
僕はお待ちかねの昨日作ったたまご蒸しパンを解凍し、モグモグと食べていた。一度冷凍しても味が落ちることもなく、まさにパーフェクトなたまご蒸しパンだった。
「次はいつ作ろうか」とワクワクしながらたまご蒸しパンを見つめる。

だが、僕はたまご蒸しパンを食べている最中、ふと考えた。
「僕は大人になってまでなにをしているのだろう」

僕はたまご蒸しパンにハマり、「自作すれば安いのではないか?」と考え、たまご蒸しパンを自作し、成功させた。ただそれだけだ。
たった一度の成功体験にハマり、僕はなにを浮かれているのだろう。

大人になってから、もっとたくさんのことが出来ると思っていた子供の頃から今はなにが変わったのだろう。たまご蒸しパンを作れるようになったことか?
たった一度たまご蒸しパンを作って成功し、僕は純粋に嬉しかった。人にたまご蒸しパンを見せびらかし、何かを成し遂げたような気がした。
しかし現実はなにも変わっていない。ただたまご蒸しパンが好きな人がたまご蒸しパンを自分で作って食べているだけ。何も大したことは成し得ていない。

僕は食べかけのたまご蒸しパンの欠片に自分の人生の全てが詰まっているような気がしてきた。
日々の辛いこと悲しいことが積み上がっていても、たまご蒸しパン一つで全て忘れる。くだらない大人だ。
大人なら自分の感情に真摯に向き合ってこそだろう。たまご蒸しパンに現を抜かしている場合ではない。

たまご蒸しパンに一雫、また一雫と涙がこぼれ落ちた。僕は何かに別れを告げるように、手に持ったたまご蒸しパンを頬張った。
最後のたまご蒸しパンは、他のと比べて少ししょっぱかった。

「これからは多少のことで浮かれずに、しっかり自分と向き合っていこう」
そう決めて、僕は歯を磨いて床についた。


そして時は流れ2月14日。
その決意すら忘れた僕はたまご蒸しパンの成功の熱だけは忘れず、一人で生チョコを作って浮かれていた。

これが、僕の人生なのだろう。

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