11/1の日記「Twitterにハロウィンのコスプレと同時に自撮りをあげている人、みんな顔がいい」

おはようございます。僕です。

ハロウィン、子供のころはマンションの中の自治会でイベントをやっていた思い出がある。
マンション中を歩き回り、ハロウィンに参加している家を探して、見つけたらインターホンを押し、「トリックオアトリート」と言う。そしてお菓子を貰い、お礼を言ってまた次の家に行く。
これを繰り返し、自分の持ってきたかごの中がいっぱいになるまで駆け回った。
大人になった今、世の大人たちのハロウィンはもはやお菓子などどうでもよくなっていることが如実にわかる。

Twitterではお菓子を用意していない大人に「悪戯」と称してエッチなことをする子供の絵で溢れ、僕はそれをリツイートする。
「ハロウィンの仮装」と称したコスプレ自撮りが溢れ、僕はその衣装のクオリティの高さに驚きつつ、タイムラインを流す(三次元のコスプレ画像を自分がリツイートするのは恥ずかしいため)。
今や恒例となった地味ハロウィンも、メディアで紹介されるようになってから大勢の人が参加するようになり、言い方はアレだが、完全にスベってる非オタクの方々が多く見られるようになった。いつ地味ハロウィンもパンピーの盛り場になるのか不安で仕方ないところだ。

さて、大人にとってハロウィンは最早お化けの仮装をするところではなく、何かのコスプレをすることの口実と化しているわけだが、
当然自撮りコスプレ写真が僕のタイムラインにも流れてくる。これはTwitterをやっている時点で避けられない問題なので、僕は特にこれで怒っていたりはしない。
政治アカウントのみをフォローしていたとしても、どうせニュース記事ツイートかなんかで
「クオリティ高すぎ!?ハロウィンコスプレ写真!」みたいなのか「渋谷ハロウィンで何かの事件」みたいな記事が流れてくるに決まっている。若者が何かにハマると、老人はそれを茶化すか問題視するのがお決まりのパターンだからだ。

そんなことは問題じゃない。ハロウィンの自撮りコスプレツイートで僕の信じていたフォロワーの顔面が晒されるとき、みんなことごとく顔がいいのだ。FF内のフォロワーが自撮りを流し、全部顔がいい。それに僕は耐えられない。
これは僕の勝手な思い込みというか、願望だったのだが、FF内のフォロワーはみんな朗らかなオタク顔をしていると思っていたのだ。
秋葉原ですれ違う人たちと同じ顔面をしている仲間だと思っていたのに、みんなめちゃくちゃ顔がいい。
ズルい。これではハロウィン当日にソシャゲのハロウィン限定セリフを回収してキャッキャウフフしながら仕事に向かっている僕の気持ちはズタズタになってしまう。全員殴って回りたい。
「ええー?別によくないですよぉ~」みたいな謙遜なんかいらない。お前は顔がいいと僕が認めていて、それが悔しい。一発殴らせてほしい。
これは僕のプライドの問題であり、お前の顔面偏差値が高いから起こっている感情なのだ。

「それじゃ顔面がよかったら自撮りをあげちゃいけないのか!」と言われたら、そういうわけではない。
Twitterに何を乗せようが、それはその人の自由だからだ。ただ、一発だけ殴らせてほしい。載せるのなら。そういうことを言っている。大体11/1も「死者の日」なんだからそっちも祝え。ハロウィンとかいう収穫祭にばっかうつつを抜かすな。クリスマスの準備すな。


結局、僕はハロウィン当日そんな気持ちを抱えながら、Twitterのスペースで太宰治が書いた「川端康成へ」を朗読し、スペースにいる友達に読み聞かせていた。どういうことなんだ。誰か説明してくれ。僕はどうすればいい。
思えば去年のハロウィンはめちゃくちゃ遅くまで仕事をし、帰ってきてさっさと寝た程度の思い出しかないので、今年のように仕事して投票行ってスペースでナイトメア・ビフォア・クリスマスを同時視聴し、太宰治を朗読するのはかなり豪華なハロウィンだったのかもしれない。

しかし、だからといって持つ者持たざる者の格差を埋めることにはならない。なので、どうかフォロワーのみんなにお願いだ。

一発だけ殴らせてほしい。

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