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『政秀寺古記』を読む。

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『政秀寺古記』の原文、現代語訳、解説になります。
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#政秀寺古記

『政秀寺古記』を読む 第15話「良馬之事」

『政秀寺古記』を読む 第15話「良馬之事」

第15話「良馬之事」
※この話は、どうも他書の抜粋のようです。『信長公記』には、平手政秀の切腹は、「織田信長を諌めるため」ではなく、「長男が織田信長に駿馬を献上しなかったのが原因で、不和になったから」としているので、作者としては「駿馬」が気になって掲載したのかもしれませんが、掲載されていない写本もあるので、写した人が書き加えたのかも知れません。

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『政秀寺古記』を読む 第14話「足利義昭感状之事」

『政秀寺古記』を読む 第14話「足利義昭感状之事」

第14話「足利義昭感状之事」 光源院殿御舎弟義昭公の先鋒とて、信長卿、江州表え出張せられ、箕作の城を一時に攻落し、其勢に江州の敵城共、悉く、聞くや否や明け退く。
 一ヶ月歴(へ)ずして、義昭公、御本意遂げられ候。
 信長卿、供奉申され、三好が凶徒ども盡く打果して帰洛成されけり。
 此時、御感状に曰く、

 今度国々凶徒等、不歴日不移時、盡令退治之條、武勇天下第一也。當家之再興不過之、彌国家之治、偏

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『政秀寺古記』を読む 第12話「小牧山新城落成時之連歌之事」

『政秀寺古記』を読む 第12話「小牧山新城落成時之連歌之事」

第12話「小牧山新城落成時之連歌之事」
一、小牧山を新城に成され候て成就の時、京都より紹巴を呼び下され、御祝儀の連歌を百韻仰せ付けらるべき旨也。
 在国の連衆は、塙茂元、岡田見桃、篠木の北野抔と云ふ者に仰せ渡され、「御褒美は信長卿より二百貫文、御家中より百貫文出すべし」と仰せ付けられけり。
 角て、紹巴、下国にて発句に、
  朝戸あけ 麓は柳 桜かな
と致されそらへば、信長卿、御耳にたち候て曰く、

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『政秀寺古記』を読む 第11話「美濃御取り候時之連歌之事」

『政秀寺古記』を読む 第11話「美濃御取り候時之連歌之事」

第11話「美濃御取り候時之連歌之事」
一、美濃御取り候時、信長卿の御発句、『信長記』にはなし。
    天が下をさめん為めに美濃取て
脇は誰々にても出し候へと仰せ候へば、佐久間右衛門尉、末座より、
    京阪本は衛門代官
と申し候へば、御感にて満座大笑の由也。

【現代語訳】一、美濃国を征服した時、織田信長公は、連歌の発句を詠んだが、この話は、太田牛一『信長公記』には載っていない。
    〽天

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『政秀寺古記』を読む 第10話「百菊之屏風之事」

『政秀寺古記』を読む 第10話「百菊之屏風之事」

第10話「百菊之屏風之事」
 信長卿曰ふは、「澤彦、長々滞在候て辛労たるべし。慰め候はん為め、朱印相調祝儀となし、四座の御能仰せ付けらるべし」との御催なり。「上下の僧俗とも見物致すべし」と兼日に御觸れ廻されけり。
 角て翌朝、澤彦登城そろ處、御座しきに金屏を立てまわされ、御同席にて見物仰せ付けられ、御能始り、一番過ぎそろて、信長卿、皮蹈鼻を一足、御手に提げられ曰は「澤彦は、蹈鼻を持たずや。是れはき

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『政秀寺古記』を読む 第7話「織田信長卿、尾張国を統一せし事」

『政秀寺古記』を読む 第7話「織田信長卿、尾張国を統一せし事」

第7話「織田信長卿、尾張国を統一せし事」
 是より信長卿の御行跡もよくならせ給ひて、撫育民姓国家を治め給はん御心より外は別なし。
 日々武勇を振られ乎、戦場国中数度の合戦、清州城を初めとして、武略にて一日の内に御手に属し、其の次、守山の城、其の次に、岩倉の城、其の次に、犬山の城、何も御手に入りけり。
 小牧山にも御在城の由、美濃の国、斎藤藤右兵衛太夫龍興代に至り、以の外、無法度になり行き候時分、武

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『政秀寺古記』を読む 第5話「平手政秀諌死せし事」

『政秀寺古記』を読む 第5話「平手政秀諌死せし事」

第5話「平手政秀諌死せし事」
 角て信長卿、十六歳にて、父・備後守殿におくれ給ふ。
 信長卿は、御幼少より、行跡、我意にして、先考へも不孝に候事、起居に政秀、盡至諫申せしは、「先祖、先考へ不孝に候事、五常をしろしめされず候。古人の語にも「孝子事亡如事存」(孝子、亡きに事(つか)うること存に事うるが如し)」とこそは申しをかる。
 彌(いよいよ)御機隨に候ては、武家の御冥加も盡(つ)き候はんか。一度は

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『政秀寺古記』を読む 第4話「澤彦和尚「信長」と命名せし事」

『政秀寺古記』を読む 第4話「澤彦和尚「信長」と命名せし事」

第4話「澤彦和尚「信長」と命名せし事」①なぜ沢彦和尚は「信長」と名付けたか?
②織田信長の花押は「麒麟」の「麟」なのか?
という話。

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『政秀寺古記』を読む 第3話「尾張国之様」

『政秀寺古記』を読む 第3話「尾張国之様」

第3話「尾張国之様」
 夫れ尾州は八郡にして上四郡に三奉行、下四郡に三奉行あり。一家の惣領・織田彦五郎殿、清洲の城に居を置き、六人として之を守り立て候。

 備後守殿は下三奉行の中の一人也。勝幡村に在城し給ふ。那古野と云ふ処も領知なれば、新城を構へ、嫡子・吉法師殿へ進ぜられ候時、家老・政秀共に四士付けられ候。(其内、第一政秀、亜父として青山与三右衛門、並、内藤庄助、林五郎左衛門等也。)政秀、元来、

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『政秀寺古記』を読む 第2話「太田和泉守牛一并平手中務太輔政秀之事」

『政秀寺古記』を読む 第2話「太田和泉守牛一并平手中務太輔政秀之事」

第2話「太田和泉守牛一并平手中務太輔政秀之事」一、太田和泉守と云ふ人は、尾州春日井郡の内、山田之庄内、天台之常観寺と云にそだちたる者なり。後、還俗し、信長公へ遅く奉公申しし者也。斯の故に、信長卿、御成立を細に知らず也。記をとし候事、これ有り。後の人、却(しりぞけ)てこれを誹(そし)る。

一、葛原親王の嫡孫、平相国大政入道清盛卿二十代の華冑、織田弾正忠、後に備中守と申しけり。此家老に平手中務太輔政

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『政秀寺古記』を読む 第1話「執筆之動機」

『政秀寺古記』を読む 第1話「執筆之動機」

第1話「執筆之動機」一、信長卿御一代始終の名誉を弄筆して『信長記』と云ふ。尤、記の體を得たり。其情、餘り有りと見たり。然れ共、「信長」の二字より初まる記なれば、其詞は花多して、実少く、詞は多不足也。
 十三の御年、御元服の事を出して、「信長」の二字は筆少なくし、知らずとかや、聞かずとかや。「此御名乗は、誰れや人、付け給ふや」「反しは何たる文字ぞ」などと古人にも相尋ねて、委細に有るべきを、荒増しに言

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