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『信長公記』首巻を読む。

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『信長公記』首巻の原文、現代語訳、解説になります。
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2019年8月の記事一覧

『信長公記』「首巻」を読む 第21話「勘十郎殿、林、柴田御敵の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第21話「勘十郎殿、林、柴田御敵の事」

第21話「勘十郎殿、林、柴田御敵の事」
一、守山の城、孫十郎殿年寄衆として相抱え候。楯籠る人数、角田新五、高橋与四郎、喜多野下野守、坂井七郎左衛門、坂井喜左衛門、其の子坂井孫平次、岩崎丹羽源六者ども、是れ等として、相抱え候。勘十郎殿より、柴田権六、津々木蔵人大将として、木ケ崎口をとり寄するなり。上総介殿より飯尾近江守、子息讃岐守、其の外、諸勢丈夫に取りまかせ、とり籠め置かれ候。

一、織田三郎五郎

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『信長公記』「首巻」を読む 第20話「織田喜六郎殿頓死の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第20話「織田喜六郎殿頓死の事」

第20話「織田喜六郎殿頓死の事」
一、六月廿六日、守山の城主織田孫十郎殿、龍泉寺の下、松川渡しにて、若侍ども川狩に打ち入りて居ますところを、勘十郎殿御舎弟・喜六郎殿、馬一騎にて御通り候ところを、「馬鹿者、乗り打ちを仕り候」と申し候洲賀才蔵と申す者、弓を追つ取り、矢を射懸け候へぱ、時刻到来して、其の矢にあたり一馬上より落させ賜ふ。
 孫十郎殿を初めとして、川よりあかりて、是れを御覧ずれば、上総介殿御

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『信長公記』「首巻」を読む 第19話「織田孫三郎殿御生害の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第19話「織田孫三郎殿御生害の事」

第19話「織田孫三郎殿御生害の事」
一、清洲の城守護代、織田彦五郎殿とてこれあり、領在の坂井大膳は小守護代なり。坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位、歴々討死にて、大膳一人しては抱えがたきの間、此の上は織田孫三郎殿を憑み入るの間、「力を添へ候て、彦五郎殿と孫三郎殿、両守護代に御成り候へ」と、懇望申され候のところ、「坂井大膳好みの如く」とて、「表裏あるまじき」の旨、七枚起請を大膳かたへつかはし、相調へ候。

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『信長公記』「首巻」を読む 第18話「柴田権六、中市場合戦の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第18話「柴田権六、中市場合戦の事」

第18話「柴田権六、中市場合戦の事」
一、七月十八日、柴田権六、清洲へ出勢。あしがる衆、我孫子右京亮、藤江九蔵、太田又助、木村源五、芝崎孫三、山田七郎五郎、此れ等として、三王口にて取合ひ、追ひ入られ、乞食村にて相支ふること叶はず、誓願寺前にて答へ候へども、終に町口大堀の内へ追ひ入らる。河尻左馬丞、織田三位、原殿、雑賀殿切つてかゝり、二、三間扣き立て候へども、敵の鑓は長く、こなたの鑓はみじかく、つき

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『信長公記』「首巻」を読む 第17話「武衛様御生害の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第17話「武衛様御生害の事」

第17話「武衛様御生害の事」
一、七月十二日、若武衛様に御伴申す究竟の若侍、悉く川狩に罷り出でられ、内には、老者の仁体纔に少々相残る。誰々在之と指折り、見申し、坂井大膳、河尻左馬丞、織田三位談合を究め、今こそ能き折節なりと、焜と四方より押し寄せ、御殿を取り巻く。
 面広間の口にて、何あみと申す御同朋、是れは謡を能く仕り候仁にて候。切つて出で働く事比類なし。又、はざまの森刑部丞兄弟切つてまはり、余多

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『信長公記』「首巻」を読む 第14話「平手中務生害の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第14話「平手中務生害の事」

※平手政秀の死(天文22年閏1月13日)については、第10話「備後守病死の事」の後半に載せるのが普通ですが、切り離して第14話としました。

第14話「平手中務生害の事」一、平手中務丞が子息、一男五郎右衛門、二男監物、三男甚左衛門とて、兄弟三人これあり。総領の平手五郎右衛門、能き駿馬を所持候。三郎信長公、御所望候ところ、にくぶりを申して「某は武者を仕り候間、御免候へ」と申し候て進上申さず候。信長公

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『信長公記』「首巻」を読む 第13話「簗田弥次右衛門御忠節の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第13話「簗田弥次右衛門御忠節の事」

第13話「簗田弥次右衛門御忠節の事」
一、さる程に、武衛様の臣下に簗田弥次右衛門とて、一僕の人あり。面白き巧みにて知行過分に取り、大名になられ候子細は、清洲に那古野弥五郎とて十六、七、若年の、人数三百計り持ちたる人あり。色々歎き候て、若衆かたの知音を仕り、「清洲を引きわり、上総介殿の御身方候て、御知行御取り候へ」と、時々宥め申し、家老の者どもにも申しきかせ、欲に耽り、「尤」と、各同じ事に候。
 然

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『信長公記』「首巻」を読む 第12話「深田・松葉両城手かはりの事」

『信長公記』「首巻」を読む 第12話「深田・松葉両城手かはりの事」

第12話「深田・松葉両城手かはりの事」
一、八月十五日に清洲より坂井大膳、坂井甚介、河尻与一、織田三位申し談じ、松葉の城へ懸け入り、織田伊賀守人質を取り、同松葉の並びに、

一、深田と云ふ所に織田右衛門尉居城。是れ又、押し並べて両城同前なり。人質を執り堅め、御敵の色を立てられ候。

一、織田上総介信長、御年十九の暮八月、此の由をきかせられ、八月十六日払暁に那古野を御立ちなされ、稲葉地の川端まで御

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『信長公記』「首巻」を読む 第11話「三の山赤塚合戦の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第11話「三の山赤塚合戦の事」

第11話「三の山赤塚合戦の事」 天文弐年癸丑四月十七日、織田上総介信長公、十九の御年の事に候。
 鳴海の城主山口左馬助、子息九郎二郎、廿年、父子、織田備後守殿、御目を懸げられ候ところ、御遷化候へば、程なく謀叛を企て、駿河衆を引き入れ、尾州の内へ乱入。沙汰の限りの次第なり。
一、鳴海の城には子息・山口九郎二郎を入れ置く。
一、笠寺に取出要害を構へ、かづら山、岡部五郎兵衛・三浦左馬助・飯尾豊前守・浅井

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『信長公記』「首巻」を読む 第10話「備後守病死の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第10話「備後守病死の事」

第10話「備後守病死の事」一、備後守殿疫癘に御悩みなされ、様々の祈祷、御療治候と雖も、御平愈なく、終に三月三日、御年四十二と申すに、御遷化。生死無情の世の習ひ、悲しきかな。颯貼たる風来なりては、万草の露を散らし、漫漫たる雲色は満月の光を隠す。
 さて一院建立、万松寺と号す。当寺の東堂「桃巌」と名付けて、銭施行をひかせられ、国中の僧衆集まりて、生便敷御弔いなり。
 折節、関東上下の会下僧達余多これあ

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『信長公記』「首巻」を読む 第9話「犬山謀叛企てらるゝの事」

『信長公記』「首巻」を読む 第9話「犬山謀叛企てらるゝの事」

第9話「犬山謀叛企てらるゝの事」
一、去る程に、備後殿、古渡の城破却され、末盛と云う所へ山城をこしらへ、御居城なり。

一、正月十七日、上の郡、犬山、楽田より人数を出し、かすが井原をかけ通り、龍泉寺の下、柏井口へ相働き、所々に烟をあげ候。即時に末盛より、備後殿御人数かけ付け、取り合ひ、一戦に及び、切り崩し、数十人討ちとり、かすが井原を犬山、がくでん衆逃げくづれ候。何者のしわざ哉覧、落書に云ふ。

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『信長公記』「首巻」を読む 第6話「大柿の城へ後巻の事」

『信長公記』「首巻」を読む 第6話「大柿の城へ後巻の事」

第6話「大柿の城へ後巻の事」
 霜月上旬、「大柿の城近々と取り寄せ、斎藤山城道三攻め寄する」の由、注進切々なり。「其の儀においては、打ち立つべき」の由にて、霜月十七日、織田備後守殿、後巻として、又、憑み勢をさせられ、木曾川、飛騨川の大河、舟渡しをこさせられ、美濃国へ御乱入。竹が鼻、放火候て、あかなべ口へ御働き候て、所々に姻を揚げられ候間、道三仰天致し、虎口を甘げ、井の口居城へ引き入るなり。か様に、

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