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『信長公記』「首巻」について

 『信長記』(しんちょうき)は、戦国大名・織田信長の一代記(全16巻)で、著者は家臣の太田牛一(1527-1613)です。この『信長記』をもとに、小瀬甫庵は『信長記』を著し、元和8年(1622年)に刊行しました。両者を区別するために、太田牛一の『信長記』を『信長公記』、小瀬甫庵の『信長記』を『甫庵信長記』と呼んでいます。
 どとらも「記」(物語)ですが、「記」から脚色部分を取り除けば、史実が残るわけで、織田信長の生涯を描いた「紀」(編年体の歴史書)の『織田真紀』は、『信長公記』をもとに書かれています。(豊臣秀吉の伝記は、どれも豊臣中心史観(プロパガンダ)で書かれています。徳川家康の生涯については、徳川中心史観的なところも多々ありますが、江戸幕府が出した『御実紀』(通称『徳川実紀』)という「紀」を読めば分かります。)
 さて、『信長公記』(太田牛一が書いた『信長記』)は、全16巻で、織田信長の幼少期から永禄11年(1568年)の上洛までを描いた「首巻」と、上洛から天正10年(1582年)の「本能寺の変」まで15年間を1年1巻で著した本編15巻からなります。
 太田牛一の自筆本には、
・岡山大学付属図書館池田家文庫所蔵本(通称「池田本」)
 ※第12巻は写本。
 https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/197276
・建勲神社所蔵本(通称「建勲神社本」)
 https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/201003
の2セットあります。(太田牛一の自筆本には、『信長記』巻1相当の尊経閣文庫蔵『永禄十一年記』、本願寺攻めの顛末など中心とする織田家蔵『太田牛一旧記』もあります。)しかし、どちらの自筆本も15巻本で、「首巻」がありません。(このため、「首巻」を含む16巻本は、15巻本の編集後に書かれたと考えられています。)
 つまり、『信長公記』「首巻」には自筆本がなく、写本も、
・町田久成旧蔵本(通称「町田本」)
 ※現在行方不明。我自刊我書、『史籍集覧』所収。
・太田家→織田家→近衛家所蔵本(通称「陽明本」)
 ※角川文庫版『信長公記』の底本
 http://ymbk.sakura.ne.jp/index.htm
・堀尾家→天理大学附属天理図書館所蔵(通称「天理本」)
・東京大学図書館所蔵の旧南葵文庫本
の4冊と、その写ししかありません。(『信長公記』には、15巻本系、16巻本系、草稿段階の3冊本の3種類あります。)
 中でも特異なのが「天理本」で、ざっくり言って、他の写本よりも詳しいです。この理由としては、
①「天理本」は最も古い写本。編集前の『信長公記』である。
②「天理本」は最も新しい写本。『甫庵信長記』を読んで加筆した。
が考えられます。

たとえば、「桶狭間の戦い」を見ると、

・【町田本】
「御敵今川義元ハ四万五千引率しおけはさま山尓人馬の休息在之
天文廿一壬子五月十九日午刻戌亥尓向て人数を備」

・【天理本】
「御敵今河義元人数四万五千にておけばさま山に
五月十九日午刻戌亥に向て段々に人数を備」

となっています。
 町田本では「人馬の休息」と、桶狭間山ではちょっと休憩しただけのように思われてしまいますし、「天文廿一壬子」と理解不明な事が書かれています。
 これに対し、天理本では、「人馬の休息在之」がカットされ、「段々に」が書き加えられたことにより、桶狭間山に本陣を置き、桶狭間山の戌亥(北西)斜面に(段々畑のように)段々に兵を配置したと読み取れるようになっています。「天文廿一壬子」もカットされています。
 両者を比べると、天理本の方が修正されていて、後の成立のように思われますが・・・「桶狭間(おけはざま)」の語源は、湧水池の桶がクルクル回るから「桶廻間」ではなく、「法華狭間(ほけばさま)」で、それが「おけばさま→おけはざま」と変化したようで、「天理本には古い呼称「おけばさま」が使われているので、天理本が最も古い写本」であり、「堀尾吉晴家臣の小瀬甫庵は、この最も詳しくて古い『信長記』(堀尾家本→天理本)を読んで、『信長記』を書いたので、共通点がある」とも考えられています。

織田信長が、善照寺砦から中島砦へ移るのを止めたのは、

・【町田本】
「家老之衆」

・【織田真紀】
「近臣」

・【天理本】
「御家臣之林、平手、池田、長谷川、安井、蜂屋」

・【甫庵信長記】
「林佐渡守、池田勝三郎、毛利新介、柴田権六」
(筆頭家老・林秀貞、乳兄弟・池田恒興、今川義元を討った毛利良勝、剛将・柴田勝家)

・【総見記】
「池田勝三郎、毛利新助、林佐渡守、柴田権六等」

と、「町田本」をもとに書いたと思われる史書『織田真紀』では誰であるか不明で、「天理本」には具体的に書かれ、物語に近い『甫庵信長記』『総見記』では、毛利良勝、柴田勝家という有名人が入れられています。

※おけはざまの歴史
http://okehazama.net/db/okehazamarekisi/data/2/contents.html
※田中久夫「太田牛一「信長公記」成立考」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tja1942/5/2-3/5_2-3_137/_pdf/-char/ja

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