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『政秀寺古記』を読む 第6話「平手政秀葬儀と政秀寺創建せし事」

第6話「平手政秀葬儀と政秀寺創建せし事」

 角て信長卿より澤彦和尚へ御使者あり。「信長が無器用を日頃いさめ候ところ、心安く思食し、用い給はず候へば、政秀不慮に切腹候事、父備後守にはなれ候よりもちからを落とし候。早速来遇候て葬礼の儀式等、引導、頼みなられ候」旨、貴命に應じ、道号「勲庵」、法名「宗忠」と付けられけり。下炬の頌に曰、
  忠肝義胆太稀奇
  横按鏌鎁忘所知
  末後牢関鉄炉歩
  一拳挙倒五須彌
と唱えて一喝せられし時に、信長卿声を上げて御愁嘆し給ふと也。龕は平手五郎右衛門同監物兄弟して担ぎけり。信長卿も御手をかけられ候と也。
 角て那古野へ御帰城候、澤彦へ御使者あり。「政秀が名乗りを寺号として一寺を建立成され度く思食す」の儀なり。澤彦曰ふは「政秀の二字は作字と申し候て、古事もなく候へども、貴命に応ず」と申されけり。
 角て早速、新寺落成して是より「政秀寺」と号し、寺領三百貫寄附せらる。「内百貫は毎月忌日に至ては会斉誦経をいたし、七月十三日には大施餓鬼を営むべき」の旨、「其の厚費」と仰せ附けられ候と也。
 五十日の間が御精進成され候と也。

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