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『信長公記』「首巻」を読む 第3話「吉法師殿御元服の事」

第3話「吉法師殿御元服の事」

 吉法師殿十三の御歳、林佐渡守、平手中務、青山与三右衛門、内藤勝介御伴申し、古渡の御城にて御元服、織田三郎信長と進められ、御酒宴、御祝儀。斜めならず。
 翌年、織田三郎信長、「御武者始め」として、平手中務丞、その時の仕立、くれなゐ筋のづきん、はをり、馬よろひ出立にて、駿河より人数入れ置き候三州の内吉良・大浜へ御手遣はし、所々放火候て、其の日は、野陣を懸げさせられ、次の日、那古野に至つて御帰陣。

【現代語訳】

 天文15年、吉法師殿は、13歳で、林秀貞、平手政秀、青山与三右衛門、内藤勝介が御伴して、(父・織田信秀がいる)古渡城へ行って元服され、「織田三郎信長」と名乗った。(その元服式の)酒宴や祝儀は大変豪華なものであった。
 翌・天文16年、織田三郎信長は、「武者始め」(初陣)として、平手政秀がその時の仕立てをしたのであるが、紅色の筋が入った頭巾と陣羽織、馬にも頬当をするなど、鎧を着た武者のような出で立ちにし、駿河国から兵を入れて駐屯させている三河国の吉良(愛知県西尾市)~大浜(愛知県碧南市)へ手勢を率いて出陣し、所々に火を放って、その日は野営し、次の日、(父・織田信秀がいる古渡城へ行って報告するのではなく、)居城・那古野城に帰陣した。

【解説】

 タイトルは「吉法師殿、御元服の事」です。普通は「吉法師、元服の事」ですね。『信長公記』では、基本的に、織田信長に対しては敬語を使っています。(主語が分からない時、敬語が使われていれば、主語は「織田信長」、あるいは、織田信長の父・織田信秀、美濃国守護・土岐氏、尾張国守護・斯波氏などです。)

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