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『信長公記』「首巻」を読む 第15話「山城道三と信長御参会の事」

第15話「山城道三と信長御参会の事」

一、四月下旬の事に候。斎藤山城道三、「富田の寺内正徳寺まで罷り出づべく候間、織田上総介殿も是れまで御出で候はゞ、祝着たるべく候。対面ありたき」の趣、申し越候候。此の子細は、此の比、上総介を偏執候て、「聟殿は大たハけにて候」と、道三前にて口々に申し候ひき。左様に人々申し候時は、たハけにてはなく候よと、山城連々申し候ひき。見参候て、善悪を見候はん為と聞こへ候。上総介公、御用捨なく御請けなされ、木曾川、飛騨川、大河の舟渡し打ち越え、御出で候。

 富田と申す所は、在家七百間もこれある富貴の所なり。大坂より代坊主を入れ置き、美濃、尾張の判形を取り候て、免許の地なり。斎藤山城道三存分には、実目になき人の由、取沙汰候間、「仰天させ候て、笑はせ候はん」との巧にて、古老の者、七、八百、折目高なる肩衣、袴、衣装、公道なる仕立にて、正徳寺御堂の縁に並び居させ、其のまへを上総介御通り候様に構へて、先づ、山城道三は町末の小家に忍び居りて、信長公の御出の様体を見申し候。其の時、信長の御仕立、髪はちやせんに遊ばし、もゑぎの平打にて、ちやせんの髪を巻き立て、ゆかたびらの袖をはづし、のし付の大刀、わきざし、二つながら、長つかに、みごなわにてまかせ、ふとき苧なわ、うでぬきにさせられ、御腰のまわりには、猿つかひの様に、火燧袋、ひようたん七ツ、八ツ付けさせられ、虎革、豹革四ツがわりの半袴をめし、御伴衆七、八百、甍を並べ、健者先に走らかし、三間々中柄の朱やり五百本ばかり、弓、鉄炮五百挺もたせられ、寄宿の寺へ御着きにて、屏風引き廻し、
一、御ぐし折り曲に、一世の始めにゆわせられ、
一、何染置かれ候知人なきかちの長袴めし、
一、ちいさ刀、是れも人に知らせず拵えをかせられ候を、さゝせられ、
御出立を、御家中の衆見申し候て、「さては、此の比たハけを態と御作り候よ」と、肝を消し、各次第次第に斟酌仕り候なり。御堂へするすると御出でありて、縁を御上り候のところに、春日丹後、堀田道空さし向け、はやく御出でなされ候へと、申し候へども、知らぬ顔にて、緒侍居ながれたる前を、するする御通り候て、縁の柱にもたれて御座候。暫く候て、屏風を推しのけて道三出でられ候。叉、是れも知らぬかほにて御座候を、堀田遣空さしより、「是れぞ山城殿にて御座候」と申す時、「であるか」と、仰せられ候て、敷居より内へ御入り候て、道三に御礼ありて、其のまゝ御座敷に御直り候ひしなり。さて、道空御湯付を上げ申し候。互に御盃参り、道三に御対面、残る所なき御仕合なり。附子をかみたる風情にて、「又、やがて参会すべし」と申し、罷り立ち候なり。廿町許り御見送り候。其の時、美濃衆の鎗はみじかく、こなたの鎗は長く、扣き立ち候て参らるゝを、道三見申し候て、興をさましたる有様にて、有無を申さず罷り帰り候。途中、あかなべと申す所にて、猪子兵介、山城道三に申す様は、「何と見申し候ても、上総介はたハけにて候」と申し候時、道三申す様に、「されば無念なる事に候。山城が子供、たハけが門外に馬を繋べき事、案の内にて候」と計り申し候。今より已後、道三が前にて、「たハけ人」と云ふ事、申す人、これなし。

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