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『信長公記』「首巻」を読む 第48話「濃州伊木山へ御上の事」

第48話「濃州伊木山へ御上の事」

一、飛騨川を打ち越え、美濃国へ御乱入。御敵城・宇留摩の城主・大沢次郎左衛門、ならびに、猿ばみの城主・多治見とて、両城は飛騨川へ付きて、犬山の川向ひ押し並べて持ち続けこれあり。十町、十五町隔て、伊木山とて高山あり。此の山へ取り上り、御要害、丈夫にこしらへ、両城を見下し、信長御居陣候ひしなり。うるまの城、ちかぢかと御在陣候間、越訴とも拘へ難く存知、渡し進上候なり。

一、猿ばみの城、飛騨川へ付きて、高山なり。大ぽて山とて、生茂りたる翻あり。或る時、大ぼて山へ丹羽五郎左衛門先懸にて攻めのぼり、御人数を上げられ、水の手を御取り候て、上下より攻められ、即時につまり、降参、退散なり。

【現代語訳】

一、織田信長は、木曽川を越え、美濃国へ侵攻した。
 敵城・宇留摩城(岐阜県各務原市鵜沼南町)の城主は大沢基康、隣の猿啄城(岐阜県加茂郡坂祝町勝山字城山)の城主は多治見修理いい、宇留摩、猿啄の両城は、木曽川に面し、犬山城の対岸に並んで持ち続けていた。10町(1.0km)、15町(1.5km)離れて、伊木山(岐阜県各務原市)という高い山がある。織田信長は、この山へ上り、伊木山砦(岐阜県各務原市大伊木)を堅固に築かせ、両城を見下して、着陣した。
 宇留摩城では、織田信長がすぐ近くに在陣したので、守りきれないと判断して、城を明け渡した。

一、猿啄城、木曽川に面する高い山にある。「大ぽて山」といって木々が生い茂る高所がある。ある時、その大ぼて山へ丹羽長秀が先頭切って攻め登り、軍隊を登らせ、水源を占領した。城の上下から攻められて詰まり、城兵は降参して、退散した。

【解説】

 織田信長は美濃国へ攻め入るも、なかなか稲葉山までは攻め込めない。
 とはいえ、昔は三河国から今川義元、美濃国から斎藤義龍が攻めてきたが、今は三河国の徳川家康と同盟を結んだので、美濃国攻めの事だけを考えればいいので、以前よりは楽である。

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