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不登校で再考する子供の評価<SP-3>学脈タイプ論

◾️学習者からの眺め

スピンオフ版の第3回。想定読者は不登校の小学6年生の娘(きっと、読んでないけど、父は語っているぞ)をもつ親。メインのテーマは、彼女の不登校の一因となっているであろう小学校の学びの信念です。それはベース版。このスピンオフ版では、小生も含めた大人の学習についても語れる範囲にまで広げてみようと試みています。

ともかく、学脈という見えない学びへの信念を、少しでも語り合えそうにすることが重要なので、そこは外さずにいきたいでな。どうも、私たちが教育について語り合おうとするとき、コンテンツの話に振り回されて、学習内容を変えることで良い教育になるという信念については手付かずなことが多いと感じます。コンテンツが古い、カリキュラムさえ良くなれば・・・、思いはわかるが・・・。

 ビジネスなら、企業規模にこだわる経営者に「そもそもなぜ規模拡大が大切なのか?」、「お金だけが大切なら会社などせずに投資運用の専念されたら?」といった視点を変えることで、「それでも会社経営にこだわる理由やら思い」を引き出せたりします。昨今のパーパス経営なんていう概念もこの辺りの話ですね。
 つまり、共有できている感じがする話(企業規模が大き良いことを目指すのは、経営方針らしさの観点から、分からんでもない)と、共有なんか知らん!(経営者の原体験からくるスケールすることへのこだわり「ビッグになるぜ!」は、その人しか分からない)という個人都合のドロドロした話は、とりあえず分けないで混ぜ混ぜしてから考えようっていう話です。カオス上等、コスモスはそれからだ!(すまん、書き手が興奮してる)。

 「教育」という単語、「学習」という単語に関しては、一般論では素晴らしい論考があるものの、いざ自分がその場になったらどうする?という切実な場面に効かないことも同じ原理かと考えます。教育や学習の一般論から降りてきた個人への個別オプションと、この反対にある、ある個人の持つ知性や学びへの強い衝動や忌避から組み立てていく、トップダウンとボトムアップのような交わった感じがするだけで、全く噛み合ってない二方向からの思考手順。そこには、教育や学習がサポートするそれぞれの信念に基づいた環境像があるのですが、二つが一致しない不条理感が積み置きされたまま、今日もどこかで議論が交わされているのであります。または、沈黙で飲み込む。
 で、その混ぜ混ぜの行為に混ぜ棒のような道具を提供できないだろうか?「学脈ー学習」の話は、そこへの願いというか、祈りみたいなものだろう、きっと。 ですから、「学びの中心軸」の造語である学脈は、学びの足元が揺らぎやすい子供の知の地層(韻を踏むなら知層か?)から話ができるようにするための一つの方便です。
 
※<小ネタ:はじめ>教育と学習という単語はここまでは同じカテゴリーで扱ってますけど、どこかでお別れが来る時が来ます。学びの環境が課題になる時、教育と学習は袂を分かちます。教育環境と学習環境は目指す方角が大きく異なるからです。さよなら、新しい環境に早く慣れてね(涙)。

 エピソードを一つ。長女が不登校になって、近隣のフリースクールを探し始めた時、とあるスクールの先生(先生って言うのかな?) から「不登校は本人の問題だと思っているうちは前に進まない。環境の問題だと受け入れた時に、道が見えてくる」(記憶うる覚えで抄訳)と言われて、メチャ腹落ちしたのでした。
 子供はその存在が全肯定されるなら、子供の不登校も肯定した上で考える。環境(つまり周囲)に課題があると考えた方が自然なのだ。スクールの場所がかなり遠くて、「もし、ここに通うとしたら、送り迎えはキッツー」って愚痴ってたけど、このお話に深く首を垂れたのでした。
 そうだった、人類はその地に住めなくなって大移動を繰り返してきたように、その地に居れないってことは、その人に何らかの移動を促しているということなのだろう、って。親がサポートする視点も教育環境から学習環境に移動せねば、移動できない子供が知的窒息するのは自然の成り行きなのだ。
この話も、いづれどこかに書く予感が・・・。<小ネタ:おわり>

◾️閑話休題:目標をモク軸とマト軸に乗せてみる

やや、話が逸れるのですが、前回は学びの目的の二軸分解から学脈タイプを説明してみました。目的の話が出てきたなら、目標の話もここでしておいても良いのかも?。と思いまして、目標の解剖図を図表14に乗せてみました。あくまでも備忘録。


図表14

目標をモク(目)とシルベ(標)にパキッと分けまして、モク軸は目的と同じ意味で、シルベ軸はマト軸の反対側にあるものとして設定しました。目的のモク軸が深さを示すものなら、目標のモク軸は高さを示すものという見立てです。シルべ軸はマト軸と平行に時間的な長さを示しています。
  こうなると目標は個人が視認できる旗であり、シルべ軸は旗との距離を意味します。もし、遠い場所に旗を置くなら大きな旗が必要です。よく見える目標だから大きな旗がシルベってことです。
 学脈転写なら卒業や資格取得、学脈直進ならマスターからの信認獲得、学脈創出なら世に問う作品、学脈天啓なら次のステージへの移行、のような話になるかと。目標は、人に話しても差し支えのない空間的なものです。旗は地上(知上)にあるものなのだ。
 
特に、学脈直進や学脈天啓などのゴールが先にあるタイプなら、遠くの霧に煙った未来の中に立てる目標になります。そうだなあ、ピカピカ光るやつ(憧れ系)や、とにかく高い見上げるようなやつ(荒唐無稽系)が有用だよね。ここは知の上なのだから、旗のデザインは理性的でなくてもOKだし。いいよ「長編小説を世に出す!」(目的は、小説家になる)でも。むしろ、旗としては普通なくらいだ。

◾️「学脈と学習」セットを学習者の目で再整理

やっと、話は本線に戻ります。

ここまでは外からの学脈の眺めを描いてきました。ここからは主人公が学習者だとして、当事者としての留意していく点に何があって、サポート側は何ができそうか、について話を進めます。
 4タイプの特質と留意点を整理したのが図表15です。


図表15

「学脈ー学習」仮説の概要というか主な目次です。
とにかく、新語は、見えなかったものを人に気づかさせるものほど有効といえます。そこで、押しの書き手として、がんばって多くの視点を出してみました! オープンAIが来れないのが新語のエリアでしょうから、そこでは人力が頼りなのです。

1)学習をタイプ別に分ける
学脈とのセットとなる学習もタイプで分けます。まあ、この流れでは自動的にそうなるのだが、学習もタイプ名称を付けましょう。そのときは「①学脈転写タイプ→転写学習」、「②学脈直進タイプ→直進学習」、「③学脈創出タイプ→創出学習」、「④学脈天啓タイプ→天啓学習」。学習自体はコンテンツとの接触ですが、その動機(意識のベクトル)は学びの文脈から来ています。もちろん、同一人物が複数のタイプを変遷していくのが普通なので、繰り返しになりますが、タイプの良し悪しはないのです。
 しかし、学脈転写のような強力な刷り込みが長く続くなら、これはあまり望ましくない未来が予見できます。アンラーニングが避けられない今、本人による学脈の固定化や、教える側の学脈変容への不寛容さが問題になりつつあるのです。学脈のタイプ転換抜きで人生を最後まで全うできない時代なのだった。

2)「何を信じて学ぶのか」?学びの信念の影響
タイプ別は学びの中心軸の特徴の幅(不動ー浮遊のレンジ)と、転写の度合い(教える側の学びの信念を受け入れる)によって異なるという見方もできます。つまり、何をどう信じていくのか、です。

①学脈転写: 教える側の学脈が不動で、学ぶ側に学脈を全面転写していくのが①学脈転写タイプです。学校と呼ばれる仕組みは大なり小なり、学脈転写を要求します。先生(ティーチャー)と呼ばれる人は基本ここの存在。うーん、だから、長くならないように卒業があるのかも?

②学脈直進:教える側の学脈は不動ですが、学ぶ側への転写は部分的なのが②学脈直進タイプです。自然と師匠(マスター)から離れていく感じ。コーチもここ。目的(例:その道での達人になる)は先にあるが、目標(例:コーチと共有した完成度)は手前にある。徐々に、目標は目的に近づき、孤高な学びになっていく。学脈転写は必須なのだが、部分的なので、部分転写。

③学脈創出:教える側の学脈は浮遊で、学習と同時に現れてきます。なので、同時転写としてます。学脈と学習が同時発生なのです。芸術家のような独立した人の学びながら学び方が浮き上がってくる(セルフ)、卑近な例なら、プロジェクト学習の場で仲間同士(パル)の創発など。

④学脈天啓:教える側の学脈は浮遊だが、人生のゴールから逆算される形になって学びが現れてくるので、高次の教えがあるように見える。メンターやコーリング(天声)など、どこに学脈があるかは特定できないけど、学びの方針には学ぶ側が確信を持っていられるのが、学脈浮遊の意味。ギフテッド(Gifted)も一つの天啓なので、ここの学脈に区分けできます。直接、間接に関わらず、人生の宿命的なゴールからの影響を受けての転写という意味合いで、逆転写としてます。


◾️ここからは予告編


3)学習者側の決定権

編集権、選択権、評価権、自由度の4レベルで学習者側の決定権をみます。基本的に①→④に向かって、主権は学習者に向かいます。目安の濃度%は決定権の強さ。タイプ違いがグラデーションで見えます。①−③までの整合性はありそうだ。 天啓タイプは主体が自分なのかどうかが不明なので「?」マーク(苦笑



4)モデルとしての特質

さて、タイプ論を実装するためのものがモデル化です。「このような感じ」から「こういう手続き」への変換するためのものです。モデル化で大きなテーマになるのが線形かどうか? 特異点があるかどうか? です。

次回は最後の2項目、(3)学習者の決定権、(4)モデルとしての特質について焦点を当てながら、学脈ー学習を眺めてみます! できるのだろうか・・・・、そもそもここまでも、できてるかどうか怪しいのだから、今更か?

Go with the flow.






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