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不登校で再考する子供の評価<SP-2>学脈の変遷

◾️スピンオフ版の第二回、学脈の変遷を考えてみる

前回の続き。学脈と学習(学びのコンテクストと学びのコンテンツ)の話。もう少し押し込んでみると面白そうなので、スピンオフ版第二回=SP2です。

図表10の再掲にあるように、学脈(学びの中心軸)を大まかに4タイプに分けてみました。義務教育が学脈転写タイプとなります。学びの中心軸が不動でコンテンツ提供側からの学脈転写(カリキュラムは決まっていて、テストなどの点数によって成績序列が決定できる学び方を良しとする)がなされる、といった子供の不登校をきっかけにした学びの話でした。

図表10

タイプ論でのアプローチでしたが、学脈のタイプに良し悪しや、上下関係はありません。状況に応じて、最適な学脈は変わっていきます。まずは、子供の不登校はどこから起因してるのかな?、を別の視点で考えてみたかったからです。
 現在の長女が、小学校の学びを差し置いて、小説に没頭するのは2番目の学脈直進タイプになっていそうだ、と考えることができそうです。
 少し、書き足してみます。日々、大量の小説を読むことを日課にして小説書きを目指すことが彼女の学びの定番(これで良し、と信じて邁進)です。それに従って、自由に自分の書きたいことを書くことに貢献してくれそうな好みの本を選択していますから、国語の教科書に記載されるような古典名著は選んでいません(たまに芥川龍之介とかの短編があるけど、まれです)。コンテンツの分類では異界転生モノ、青春ミステリー系がほとんど。ここらへんを書き上げたいらしい。この観察で診断するなら、コンテクストの分類では、今の彼女は学脈直進タイプです。
 その一連の過程で、書くことと読むことに自分の学びのパターンを見つけつつあり、目下のところ、そこを自分だけの学びの方針にして直進しております。「算数もやったら?」は炎上ワード(苦笑
 学脈転写への違和感を学脈直進で置き換えているといえそうです。この学びのタイプ違いだけが不登校の原因ではないですけど、義務教育の学脈転写への拒絶感があることは父も強く感じます。

さて、まあ娘の話はさておこう。ついに、「さておき」って書いちゃったよ。小生も心の余裕ができたのでしょうか? スピンオフでは、学びのタイプは一人の人間の一生の学びをある程度説明してくれるのではないかと考えてみます。つまり、学びの信念の変遷というやつを4パターンで眺めてみようという試案です。

◾️目的を目(もく)と的(まと)に分解する

4タイプに分けて図示してみると、要素として学習(学びの対象となるコンテンツ)と学脈(学び方への信念)以外に、「学びのゴール」というのがでてきます。留意したいのは、第3の学脈創出タイプの図には書かれてないことです。これは、「学びのゴール」がコンテンツの中に埋まっているケースを意味してますから、表記されてないだけで、要素は存在しています。「学習=まずは学ぶ」、すると、そこに「学脈=こうやって学んでいくやり方がある」という学びの中心軸に気づくのが、第3の学脈創出タイプです。
 話を進めます。この「学びのゴール」は居場所が異なる要素(図表参照)なのです。共通している意味は、学脈という信念を学びの目的が支えていることです。そこで今度は、学びの目的を分解してみることから始めます。
 ものすごくベタなのですが、目的を「目」と「的」の二つに分解して二軸にします。2字熟語を「真ん中から2つにエイヤーと割る」力技っすな。
 
目(モク)軸
「目」は何かを見るわけですから、学脈の流れで考えると「学びで見える世界の深さ」だと設定します。学脈はコンテンツに触れないと現れてこない、どこかに埋もれたものですが、学び方は世界を自分の周りを整理する方法論なのでコンテンツと一体です。学脈を自分の独自なものにしていることは、知識と人の関わりに独自の世界観を持っていると同義でしょう。
 
 例えるなら、心の中に図書館があって書籍たちの分類表がある。この分類表こそが知の世界観を表しています。まさに私の分類表は私の世界の眺め方ではないかと。 
 通常の図書館なんかだと、デューイ十進分類法とか日本図書分類法とかあるじゃないですか。もちろん、こんなカチッとしてなくてもいいのです。分類方法は自由なのです。個人書店は店の中の本の扱いや並びで、「私の世界観を感じて!」を演出しています。
 つまり、長女は小学4年ぐらいから、自分の心の中にある図書館をリニューアルしたってことなのだ。正確に言うと、全面新改装中!
 
 この学びの世界の眺め違いを深さで示すのが目的の目(モク)軸。深さがあるのは、最下部の奥底では分類の系統図がよりシンプルになって、究極的には一つなのではないかと思っています。図書分類法も10群前後で構成されていても、メタ視点では一つに束ねたものですからね。きっとあるのだろう・・・。もちろん、どんな人でも全ての本を集めている図書館を作ることはできないので、まだまだ蔵書的な不備(無関心の弊害)もあるはず。それでもです。目軸の奥底では、自分の生き様と学ぼうとする方法論が一致しているなら、憧れますね。

・的(マト)軸:
すると、もう一つの的という字があって、これを的(マト)軸とします。こちらは時間的な要素が入っています。学びの量的な累積度合いを示す軸になります。的(マト)なので、矢を射るかの如く、「ここからそこへと何かを目指させる点」です。「学びのゴール」に対して近いとか遠いとかを感じさせる視点です。なので、この的軸は「学びのゴールまでの距離」を示すものとしてみます。


図表12

図表12に4タイプをベクトルに置き換えて解説をしてみます。

 ※小難しい言い回しになるけど、タイプがスカラーだったものを二軸展開でベクトルに見せています。その強引さのお陰で、お互い孤立しているタイプ群が同一平面で扱えて、いろいろな操作が可能になるって感じ。で、蓋然性を求めて並べてみます。矢印全体が一方向(左上から右下)に流れて見えるのは、モク軸とマト軸の二軸が完全な独立ではなく、自己相関しているからだと思われます。多重共線性ってやつ。強引さの証だが、ベクトル間の違いが視覚化できているので道具としては合格点。こういう話が好きな人向けの小ネタ。

それぞれの内容的には前回のものを踏襲してますので、そちらを参照してくださいな。以下はベクトル的な解説。

・学脈転写タイプのベクトル:
現在位置からスタートし、水平方向のマト軸上のゴール「近」まで伸びる矢印です。コンテンツが終了すると学脈転写も終わることを意味します。同時に、モク軸は移動しないのも特徴です。学脈転写によって学脈が同じままで推移してしまい、過去の学び方を良しとして世界を眺めてしまう状態を示します。義務教育に代表される学校というシステム

・学脈直進タイプのベクトル
現在位置からスタートして、水平方向のマト軸はゴール「遠」まで伸びます。学びのゴールは非常に遠くに設定されています。ベクトルは長い。そして、初期のから後期に向かって緩やかに学脈の自己変容、モク軸に沿った下降が行われます。伝承工芸や芸術のような守破離的な変容です。最終的には、自分だけの学びの世界観へ進むことを意味しています。基本スキルの時期は学脈転写でも、応用体験へ進む時期には学脈創出になっている学びに多くあるパターンを示しています。

・学脈創出タイプのベクトル
現在位置からスタートして、最も早く深い学びの世界に行くベクトルです。自己変容を促すコンテンツを自ら作りながら学ぶので、加速度的にモク軸を下降します。都度、コンテンツの素材のインプット、作品のアウトプットができれば循環するので、マト軸のゴールは「近」においてあります。フリーランス型の、仕事を通じて学びの方法論も同時に見つけることができるとか、独学しながら独立を維持する最新の知見を同時に見出していくコンテンツ一体型サイクルにある人の学脈タイプです。

・学脈天啓タイプのベクトル
現在位置も最終ゴールも両極で最も離れた関係にあるベクトルです。マト軸は人生全体と同じなので、人生の目的らしきものと学ぶことが近い状態といえます。同時にモク軸も、学びの世界からの眺めが、悔いのない自分の人生の眺めである、と言い切れるところを目指します。このゴールは天啓のようなもので、自分の学び方に迷いがないまま学習し続けます。学習の内容を無駄なく(どんなものからも必要なものを掬い取って)学べるタイプです。常に学脈の自己変容が未来から逆算されてます。
 ギフテッドとも言えるが、学脈天啓タイプとイコールではなさそう。自分の天性の特徴(良し悪しは環境との折り合いが決める)を宿命として受け入れたときに、天啓タイプの学脈(この特質はこういう学び方で磨いていく、等)になっていく。

◾️一人の人間で学脈変遷を描いてみる

まあ、硬く書いてみました。少しライブ感を出すために、小生をサンプルにして、この学脈変容の図に重ねてみます。


図表13

ざっくりとした解説です。
 生まれてから社会人になるまでの学びは学脈転写。「良い学校で学べば、良い会社に勤められ、良い人生が送れる」をベースに「学校から教えられたことを前提に、成績という序列を意識しながら学びを組み立てていくのが王道の学び」。 確かにその学脈に染まっていたと思う。転写終了!(苦笑

 次の会社員時代は学脈直進。マーケティング実務が存在し、「マーケティングでプロになる」ことを遠いゴールに置いて、「実務で体験しながら、具体的な実務知識を汎用性のあるマーケティング知識に紐付きさせていく」学びを学脈にする。 社外でも通じる知識・スキルかどうかが学びの基準ってことですな。

 そこから、コンサルタントとして独立した後は、学脈創出です。「コンサルタントとして長く支持がもらえる存在になる」をゴールに「コンサル現場での違和感を大切にしながら、常に新しい学び方と学ぶ内容を取捨選択していく」学脈で世界を深めていく(いった・・・もう過去形) 学脈と学習が一体って効率良さげですが、心身フル回転なので負荷も大きいと実感します。

 現在は、人物アイコンにいます。次のステップに向かいつつあります。ポスト・コンサルの生き方を目指してますから、新たな学びが必要です。当然ながら、新しい生き方と新しい学びの間を結ぶ学脈も刷新されなければならないでしょう。 
 これは人生の終わりから逆算して、何が自分の学びか?、その学びの方法なのか?を再考している段階です。歳をとると、残り時間が学脈天啓を促すような感覚もあるのです。まあ、人によるだろうけど。
 言えるのは、いつかは死んでしまう自分を思い描き、「後悔のない人生のための学び」を模索(というか足掻きというか)しようするきっかけの一つが、親子の学びでの親のアンラーニングのお題だった、ということ。

 ということで、今回はここまで。この学脈変遷図で気がつかされたのが、学脈が変わる場面こそ、「シリアスでありながら面白い人生のエピソードがありそうだ」ということです。人生を人生らしくする部分のような気がするのだった。小学校4年生が不登校によって学脈の変容をしたように。

続きは次回。

Go with the flow.


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