見出し画像

千代木工のヒストリー

千代木工のHPを作り直したときに、会社の歴史をまとめた「千代木工について」という文章が面白いと言って下さる方が多いので、noteに残したいと思います。


兵庫県中南部の小野市ならびに三木市は、そろばん・玉のれん・のこぎり・金物の産地として古くから知られてきました。
1950年代にはその木部品を請け負う木工所が、近隣に何百と存在していました。
1959年、先代の岡本佐千夫が、その木柄を製造する岡本佐千夫木工所を加古川市八幡の地に開業したことが物語の始まりです。

1969年、一度目の転機は自宅の続きにあった工場を、県道沿いの広い場所に移転した事でした。
敷地が広くなったことで、翌年には塗装が出来る作業場を増設、また翌年には倉庫を新設、社名も現在の「千代木工」に変更します。しかし順調に思えた経営も1973年に始まるオイルショックで受注が激減する事態に陥りました。
1975年に大学を中退した現社長が家業を継いだ頃は、まさにオイルショックの真っ只中で、受注は1年以上途切れていました。

そんな中で二度目の転機が訪れます。近所で同じく木工所を営んでいた先代の兄が、自分の工場で請け負っていた仕事を回してくれました。その仕事は、のこぎりや包丁の木柄を何百何千とこなすこれまでの仕事とは違い、キッチンワゴンという完成品の製造でした。

現社長は一から学び直し、回してもらった仕事を必死にこなしました。その結果、品質の良さや納期厳守の真面目さが認められて、その後はスリッパラック・テレビ台・マガジンラックと次々に仕事が舞い込んできました。千代木工の作る木製インテリアは品質が良く不良品がほとんどないと、この業界では有名になりました。

しかし1980年代からは製造業が生産拠点を海外に移す傾向が強まり、日本国内の置家具工場全体の冷え込みが始まっていました。千代木工でも、納入の90%を占めていた卸業者が1985年以降海外シフトに方向転換し、苦しい時代が続いたのです。

そんな中で三番目の転機は、細枠貼り付けミラーを考案した事です。 それまでも通販や店舗向けに様々なミラー商品を製造していました。ある時、1センチの細い木枠で姿見を作れないかと得意先から相談を受けた現社長は、考えに考えてガラスを後ろから落とし込むのではなく、上から貼り付ける製法を考案しました。細い枠が商品全体をすっきりと見せ、枠と鏡がほぼフラットになるこの商品は、大変なヒット商品になりました。

また、ち密さを必要とするこの製法は海外では製造することが出来ません。「細枠貼り付けミラー」は現在でも千代木工を支え続けるベストセラー商品になっています。

それからも外的環境の困難は幾度となく訪れ、そのたびに浮き沈みを経験しますが、そこから学んだのは、自社の強みを認識し会社として常にステップアップすること。
木を加工し製品を作る国内工場が疲弊する中で、木に携わることから逃げず、その技術を守り続けてきた事は現在大きな強みとなっています。そしてその強みを成果につなげてきたことで、「千代木工はなくてはならない会社」と言っていただくまでになりました。

また、「自分たちのオリジナル商品を届けたい」という思いから、2015年には自社ブランド「SENNOKI」を立ち上げ、オンラインショップをスタートさせました。 直販・OEM・商社と、どなたにとっても「丁度良い商品」をご提案できるのも長い間に培ってきた経験と知恵のおかげです。 これからも千代木工の物語は、皆さまとのご縁と共に続いていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?