見出し画像

うちの軽トラ

小学生の頃、みんなで家に車が何台あるのかという話をよくした。
大人の数だけ車がないと不便なところだった。

我が家は祖父母同居の農家であり、父は平日は会社員で土日は農業を手伝っていた。
そんなわけで、父母の通勤用の車、祖父の街乗り用の車等々で多いときは7台もの車があった。もちろん軽トラを2台入れてであるが。

そういう話をしていると、必ず「すごい!」の次に「なんで軽トラがあるのー!!」とみんなが爆笑してくれるので、嬉しくなったものだ。
近所でも昔から住んでいる家は軽トラが当たり前のように庭にあったが、後からできた住宅地に住んでいる友達の家には縁がないのだった。


暇な週末は家の近くの農作業を見に行ったりした。邪魔になるからと絶対に手伝わせてくれなかった。
仕方がないので、荷台に山盛りになっているもみ殻に埋まる遊びをしていた。しばらくすると、もみ殻でこすれて全身がかゆくなるので気をつけなければならない。

昭和だからなのか田舎だからなのかわからないが、荷台に乗って近所を走ってもらうこともあった。私や弟は気持ちがいいのでそれが大好きで、たまに飼っていた犬も一緒に乗せた。危なー。
さすがに祖父も「もうやめとけ」と言い出して、残念ながら荷台遊びは停まっているときだけになった。


そんな祖父には駅までの送迎をよくお願いした。
バス停は家から近かったが、1時間に1~2本しかバスが来ないのだ。
帰りが友達と一緒になったとき、軽トラが迎えに来ているのを見て腹をかかえて笑われた。軽トラの助手席なんて乗ったことないわ!ということだった。私にとっては普通のことなので、驚いてしまった。だって家の車だし。


その後、祖父は病を患った。
退院してきたので、また「駅まで送ってー」と気軽にお願いした。
そのとき祖父の立ち上がるスピードが遅いことに気がついたが、なんとなく遠慮できずに二人で軽トラに乗った。
なぜか軽トラのエンジン音が弱く感じられ、ギアチェンジもスピードも遅かった。
祖父も私も駅まで黙ったままだった。
私はしばらくお願いするのをやめようと思った。でも、それが最後の送迎だったように思う。


今でも帰省するとたまに父が駅まで送ってくれる。
軽トラは今でも1台あるけど、送迎は普通の車だ。
バスは1時間に1本もなくなってしまった。


今住んでいるところは、古めの住宅地だ。
年に何軒かは新築が建つ。
それぞれの玄関先には1~2台の車がとまっている。
毎日自転車で移動しながら、あの頃みんなが軽トラに爆笑していた理由もわかるなと、ふと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?